ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

住田町作業:天照御祖神社

▽住田町。世田米。天照御祖神社(あまてらすみおやじんじゃ)。

▼上閉伊・気仙 地区 式年大祭 一覧表|みちのく芸能ごよみ http://www.h3.dion.ne.jp/~iwagei/sikinen.htm

 

 

▼天照御祖神社(岩手気仙郡住田町)|ぶらり寺社めぐり http://www.geocities.jp/flow_and_stock/jisya-tohoku/amaterasumioyasumita.html
▽写真多数。「天照御祖神社岩手県気仙郡住田町世田米字世田米駅44-2」「天照御祖神社(あまてらすみおやじんじゃ)/ 御祭神は、天照皇太神、熊大権現、天満大自在天神です。 ※明治五年〔1872年〕に八坂神社(素戔嗚尊櫛稲田姫命、八柱御子神)が合祀されました。/ 創建は寛政年間(1789年頃)とされ、和山〔わやま〕入口の火石に祀られていた社を現在地に遷座し、社殿を建立し土地神として信仰されたことが始まりとされています。/ 一時社殿は焼失しましたが、天保五年(1838年)に仮宮を建立。嘉永四年〔1851年〕に再建し、石段や境内の整備が行われました。その後大正四年〔1915年〕に社殿や参道境内の修復が行われ、現在に至ります。/〔略〕」

▼天照御祖神社|神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識 http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/iwate/kesengun/amaterasu/amaterasu.html
▽「気仙郡住田町世田米(平成17年〔2005年〕7月29日)」「この神社は住田町の中央付近の東の山側に鎮座しています。背後の山の緑に包まれた綺麗な神社で、ここには鬣と角が帽子のように見える、異国風の鼻の高い狛犬が居ました。由緒によると御祭神は天照皇太神、熊野大権現、天満大自在天神の三社合祀の神社でしたが、明治5年〔1872年〕八坂神社を合祀しました。社殿は当初火石に祀られていたのを寛政年間(1789頃)現在地に遷座しました。」

▼天照御祖神社|岩手県神道青年会 http://www.ganshinsei.jp/sumitachou/620amaterasumioyajinja.html
▽「世田米宿場の東側上段に、藩政時代に創建された。三社合祀の神社があり、嘉永四年(1851)三月、村の有志たちによって再建されたことは祈念碑によっても知ることが出来る。明治四年(1871)十月、神仏合祀禁制のため、光勝寺にあった八幡宮を当社に合祀し奉った。/ 伊達藩時代は柏里石祐神社をもって世田米村の総鎮守としていたが、明治八年(1875)三月十六日、当社は世田米村の村社となった。」

▼天照御祖神社|岩手県の町並みと歴史建築 http://www.iwatabi.net/morioka/sumida/ama.html
▽「天照御祖神社概要: 天照御祖神社の創建は寛政年間(1789)に和山〔わやま〕入口付近に祀られていた祠を現在地に遷座し、社殿を建立したのが始まりとされています。世田米は火事の多い土地柄で天照御祖神社も天保3年(1834)に延焼し、社殿は全焼しました。嘉永4年〔1851年〕に再建し、大正4年〔1915年〕に社殿、参道、境内の修復をしています。明治時代に入ると、元々の御祭神だった「天照皇太神」「熊大権現」「天満大自在天神」に加え「八坂神社」が合祀されました。例祭は明治8年〔1875年〕から始められ、3年に1回行われるもので「娘手踊り」をはじめ、手踊り、山車、権現様、神楽、鹿踊などとともに神輿が商店街を練り歩きます。」

▼世田米地区|SUMITA好いネット http://ww51.et.tiki.ne.jp/~tegumu/html/pages/setamai/setamai.html
▽「神社・寺院/ 【天照御祖神社】 ◆天照御祖神社は、明治時代になって旧世田米村の村社となり、村民全体の神社として崇拝されてきた。祀られている神は「天照皇太神」「熊大権現」「天満大自在天神」の三神だったが、明治維新となってからはさらに「八坂神社」もあわせて祀ることになった。/ もともとこの神社は、世田米の和山〔わやま〕に鎮座されていたが、今から200年ぐらい前の寛政年間(1789~1800)に、お社を現在地に遷座し、世田米地域の神様として社殿を建て信仰されてきた。」
▽「祭り・郷土芸能/ 【世田米四年祭】 世田米地区の四年に一度の祭り〔※2013年現在、3年に一度〕で、町内の各部落事に山車や手踊り、権現様や鹿踊りなど様々な民俗芸能が見ることが出来る。/ なかでも下在地区の大名行列は独特の動きをする草履取りがあり、目を引く。」

 

▼世田米 天照御祖神社式年大祭〔2010/5/8〕 - Knブログ - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/crazyfloater/25104766.html
▽屋台写真多数。「岩手県住田町の3年に一度の盛儀「世田米 天照御祖神社式年大祭」に行ってきました。この祭りにも演歌等の踊りを伴ったお囃子の屋台と風流屋台が出ます。今では踊りが主役で屋台のほうが脇役みたいですが(笑)。いずれにしても、大船渡市等と同じ文化圏ですね。」
▼2010 住田町天照御祖神社式年大祭〔2010-05-04〕 - 「遠野」なんだり・かんだり http://blog.goo.ne.jp/fuefukidouji_2006/e/6a198bd4b7d9f481ca390be4b4ca4ba1
▽写真多数。 「今年〔2010年〕は、三年に一度の天照御祖神社式年大祭の年。(大船渡市盛、釜石市唐丹でも同じような隔年開催となっているようだ)/ この神社の予備知識は、こちら http://blog.goo.ne.jp/fuefukidouji_2006/e/fd9f7f0a5a89d68f589168a95d4e5e4e で。/ さて、前回はほんの一部だけしか見られなかったので、今回は気合を入れて見物。/ 世田米商店街の中心部にある天照御祖神社をメインとしながら、近辺にある各神社の祭りを一緒に行っているようだ/ 本物の神馬も登場/ この祭りで目にした神社は、天照御祖神社、八幡神社、山神社、穐葉山大権現、熊野三山大権現、眞山権現、御霊権現、立石神社。それぞれの神様が集合したことになる」
▽「神事に関わる行列の他に、めずらしいのが「下在大名行列」/ 明治初期に室根神社に奉納されていた大名行列を習い覚え、下在の村上弥惣治が尽力し、後に京都の本格的なものを見て、現在の形に落ち着いてきたものだと「住田の歴史と文化」〔金野靜一 監修。住田町教育委員会、2005年刊〕には記されている。大名の名は入っているが武士が登場するわけではなく、諸道具をもつヤッコ衆の行列である。/ 行列につきものの神楽は小府金神楽を除いては、ご覧のように数匹の権現さまが登場する権現舞がメイン/ これも、沿岸部にある虎と獅子の違いはあるが、同様の流れか?/ 神楽の一演目がメインの踊りになったように思える/ 町内に何団体かある鹿踊りのひとつ柿内沢鹿踊/ そして町内から繰り出される風流もの・・・・上組、下組、中沢、東峰(あずまね)があるようだ/ 下組の手踊り/ 山車には太鼓、笛、三味線/ 中沢は権現舞の後ろに太鼓や手踊りの団体が続く/ 各団体がいろいろな小物を使って踊るのだが、どれもがテンポが良い/ 夏に行われる夜祭りでも女性が活躍する世田米/ 美人がほんとうに多い!/ 今回、目をひいたのは上組の踊り/ どこかで見たもの、聞いたもの・・・・踊りの名前を聞くと「とおり」だと云う/ 特徴は歌舞伎の六方を踏むしぐさだとも/ 全てが同じわけではないが、間違いなく「遠野南部ばやし」/ 但し、遠野では「帰り」という演目なのだが。遠野仲町、穀町の踊りが合体したような内容となっていた。/ 踊りが続く中、行列が終わった神馬が向かった先は、天照御祖神社門前/ 大名行列に参加していた方々が馬に手を置き、歌う/ お聞きすると神馬を曲録と云い?、祝いの歌なのだと云う。はじめて観るが、なかなか良い。/ 三年に一度ということで準備もよく出来ており、桜満開の時期にも重なり、それにも増して、美人が多い祭り。一見の価値あり!」

▼住田町世田米祭り〔2007-05-05〕 - 「遠野」なんだり・かんだり http://blog.goo.ne.jp/fuefukidouji_2006/e/fd9f7f0a5a89d68f589168a95d4e5e4e
▽「〔2007年〕5月3日午前、遠野では入部行列が行なわれたが、同日と翌日、隣りの住田町世田米では、4年に1度の祭りが開催(3年に1度だと思っていたのだが)されるとの情報を入手し、本祭の4日は予定が入っているため、急遽、越境することに。/ 〔略〕/ この世田米の4年祭(訂正 5/7:三年に一度開催でした)がいかなる祭りかこの目で見ようとメインストリートに入るも流石にお祭期間中で、裏道から役場前へと移動させられる。通りには、上、下、中、あづまね〔東峰〕の4ヶ所から山車が出て巡行中だった。本番は4日とのことで、本来は、此の他に神楽や五葉の鉄砲隊も参加するようである。山車から流れる音を聞くと、遠野の田植踊りと神楽のリズムに似ているような気がするが、この曲に合わせた踊りを目にすることはかなわなかった。流行り歌に手踊りを従えた山車祭りといった風情で、私の想像とは大分違うものだった。但し、山車は遠野のものより立派だと感じさせられる部分もあり、隣の大船渡や釜石と同様に船をモチーフにしたものもあり行った甲斐があったというものだ。資料によると大名行列も行なわれるようで、なぜ、この地でと思うも、また、いつの日にかみたいものだ。(それにしても、PRが足りないのでは? 遠野にももっと情報を流してくれれば観光客は行くと思うのだが)/ この祭りを本来掌る神社が「天照御祖神社」/ 祭神は、天照皇太神、熊野大権現、天満大自在天神の三仕合祀の神社であったが、明治9年の太政官布告により八坂神社を合祀して世田米村社に昇格。村民全体の祠となる。本神社は当初は寛政年間頃は和山入口にあたる火石に祀られていたが現在地に遷座し、社殿建立の後土地神として信仰された。天保3年の大火で108戸余りが全焼し社殿等の一切が焼失した。天保5年、嘉永4年に再建し、石段、境内整備をした。…と神社の案内板には書いてあった。」

▼住田町(岩手県) 天照御祖神社|岩手県の囃子屋台まつり(付記 東北地方の数例) http://sutekinaomaturi.fc2web.com/yatai.html
▽「世田米(せたまい)の天照御祖神社式年大祭は3年に1回、5月の連休に合わせて開催される。お通りを行う日がメインだが、その前日も中心街では山車・屋台が自由に運行し町内各所で余興を披露する。権現様や太鼓鹿踊りが参加するほか、各町内で「娘手踊り」を工夫し祭典に奉仕する。手踊り附属の屋台は黒屋根を掛け提灯を吊るし、背面に紙の牡丹を飾った華やかなもので、東峰組上組下組中沢組が繰り出す。中には盛岡山車に使うものと同じ布牡丹(赤・白・黄)を飾っている屋台もあり、飾り方も吟味されよく統制が取れている。/ 写真は下組屋台の背面と、踊り手の花笠を乗せる後続車。(平成19年〔2007年〕見物)」

 

▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 世田米の三年祭〔2006年04月28日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/17142554.html
▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 世田米お祭りワーキングホリデーin小田部落〔2007年05月08日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/41161136.html
▽写真多数。続く一連のエントリーも2007年大祭当日の写真。
▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 天照御祖神社式年大祭〔2010年05月02日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/148531065.html
▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 天照御祖神社式年大祭本番1〔2010年05月03日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/148576083.html
▼もさばSUMITA好いネット管理人の日記: 天照御祖神社式年大祭本番2〔2010年05月03日〕 http://sumitayoi.seesaa.net/article/148577184.html

 

▼平成17年10月号(No.553)|広報すみたトップページ|住田町 http://www.town.sumita.iwate.jp/chousei/koho/No553/top.html
▽「p.12-13/ ・「住田の歴史と文化」発刊」

 

▽参考:

御柱祭 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%9F%B1%E7%A5%AD
▽「正確には満6年間隔で行われる「6年に一度」なのだが、慣例として数え年の7年目ごとという意味で「7年に一度」と表記されることが多い。最近は「7年目」もしくは「数えで7年」という表記に変わりつつある。」