ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

人の美点について。20110626

▽知友への手紙。一人の“言論人”の美点について。


▽あの人の美点。 少し前に出ていた分類に従っていうと、彼は「謝れる人」です。

▽くだんの発言がなされた3時間近いustであの人は、震災前の俺が盛り上げ、いい気になってた方向は間違っていた、だから俺はやり直したい、といった言質をとられまくってます。そんなの黙ってスルーしておけばよいのに。
▽もちろん、謝れる、自らの過去を正視して間違っていたと言明できることは、正しさを担保しません。それが出来るからといって正しいわけじゃないです。人は間違った反省だってする。 でも、ここで重要なのは、それをあれだけ証人がいる前で出来る、ということです。(webで世界中に提供され、アーカイブも残るわけです。)


▽まさにおっしゃっている、生活環境も収入も何もかも違う人たちが、同じものを面白いと思い、それについて語れること、それはすごいことだ、そのすごさを信じることだけがこれからの「ポストモダンの社会」を基礎づけうるのだ、そしてそれしかこれからの時代に道はないのだ(社会全体を包括できるような共感の体系は存在しえない)、ということを3.11以前、長い間語ってきた人です、彼は。 ——正確には、もっと屈折しているし、ある種の諦念をあえて踏み越えてみせるかたちで彼は語ったのだけど(もしかしたら、本気で信じていたのかもしれない。木乃伊取りが木乃伊になるように)。
▽だからあのテキストは、彼の「敗北宣言」なんです。もちろんここでも、その宣言が、敗北の認識が正しいかどうかは問題ではなく(私にはナイーブすぎるように見える)、彼が明確にこれを敗北宣言として語っているところに、おそらく彼の美点があります。彼は自分自身に剣を振るっている。


▽面白いものを「面白い」と影響力をもった文筆業者が語ってみせる。 すると、そこを核として共感の共同体が、「連帯」が生じる。好むと好まざるとにかかわらず、実際に生じてしまう。 あれ面白いよねー! あの知識人もそう言ってる、面白い理由も説明してる、お、君もあれ好き? あの人たちの分析も読んだ? 仲間だね僕たち!
▽3.11まで彼はまさにそれを意識的にやってきたわけです。同じものを面白いと思う、その感覚を大切にすべきだ、と。 また、その感覚を、晦渋な現代思想の読者とITの先端技術者層とアニメやエロゲーファンの間に一致点を醸成する可能性を、自らの実践を通じて切り開こうとしてきたわけです。
▽彼は今まで、まさにあの発話で批判されてるような語りを、自分自身で戦略的に選び、実践してきた。同じものに興味がある、同じものが好き、その一点て、ちょー大切じゃん! それを基礎にした社会的システムこそ求められるし、たぶんそれしか未来はない、その現実的な可能性を検討してみよう。(ここで彼が言ってるのは、全人格的な一致点ではないです。一人の人間の様々な側面ごとに別の共通点が、ばらばらに存立する。だから彼のアイデアは、一昔前であればディストピアとして語られたような社会システムになる。)


▽3.11で彼に生じたのは、彼が作り出そうとし、そこを基点とすることからこそ新しい社会を開けると考えてきた“共同体”が、実際には“共同体”なんかじゃなかった、という現実との遭遇だったわけです。 そこには現実の経済的、文化資本的「格差」が、断絶が厳然として、ある。
▽まるで仲間みたいな顔してたのに、3.11のような「危機」が生じてみれば、金のある俺、特権階級でありインテリである俺は海外にだって逃げられる。でも俺が“仲間”として引き寄せてきた若者たちや貧乏人は現実として、どこにも逃げられない。ということは俺が語ってきた言葉って、その現実から目をそらすための「幻想」、自身の特権性を隠蔽するための「嘘」にすぎなかったんじゃないのか?
▽それって酷いことじゃないのか? 俺は「まどマギ」を語れる、何がすぐれているのか、そしてどこに限界があるのか、言い指せる。でも、それを語ることで生じる仲間意識や連帯って結局「幻想」じゃん。放射能が来たら、仲間面してたくせに特権階級は逃げるじゃん、やばくなったら逃げられない奴を見捨てるじゃん。なんなんだよそれ。


▽彼にとっての3.11はそういうものだったんです、おそらく。 「まどかマギカ」を語ることで確かに今ここにいる俺たちは盛り上がれる。「まどマギ」が連帯を生みだせる。俺もエラソーに批評家面できる。 でも、3.11が起きたら、俺は君たち裏切って逃げられるんだよ。それのどこが仲間なのか、そんなものを基礎にした新しい社会なんて可能なのか?
▽——と、あの文章のこんな分かりきった読解をやってみても仕方ないのだけど、彼の美点があるとしたら、あの発話にある、そのある種の「真摯さ」にあるわけです。それは言い方を変えれば「幼児性」でさえあります。
▽彼は「まどマギ」は優れてると考えてる。人より「まどマギ」がいかに凄いか筋道たてて語る自信もある。 でも、それをやることで作り上げられる「嘘」を、そこに起動してしまう「連帯」を俺は3.11以降、信じられない。嘘を嘘として「あえて」信じてるふりをすることも俺にはできない。そう彼は言ってしまうわけです。
▽あ。ナイーブってことは馬鹿だってことだけど、幼児性っていうのは、ピュアだってことではありますね。 あの発話がなされたustは、あの人の美点とダメなところ、明晰さと頭のよさと頭の悪さ、視野の広さと狭さが(酒の勢いもあるのか)素直によく出ていると思います。


▽というわけで、彼のあの発話の美点というのは、そんなところにあるんじゃないか、と私は思っています。 そうして、そういう彼の美点を認めることは(しつこいですが)、彼の思考の総体の正誤とはまったく別の話です。
▽これが説明になっているのならうれしい。 あの人はなんだろう、「誠実」なのです。間違いなく。ただ、極度の恥ずかしがり屋で、明らかに頭の回転は速いのに、同時にお馬鹿さんで、また世間知的な計算ができないから(本人はしていると言うだろうけれど)、誤解を呼ぶのだと思う。


▽たぶん、まどマギを語ることを「嘘」にしたくなかったんだと思う、彼は。 私たちの時代のリアルはまどマギを語ることでしか語ることができなくて、そこから社会を立ち上げるしかない、立ち上げる方法を少しでもマシな形で俺は考える、と彼は言ってきた。
▽だから3.11でその無力さに傷ついた。現代思想界の若手ホープとして華々しく登場した彼がオタク文化を語り始めたとき、周囲は「馬鹿じゃないの?」「仕事なくすよ?」と相手にしなかった。それでもそこに俺たちの本当のリアルがある、現代思想もアニメも等価だと彼は言い続けてきたのに。
▽あ。そこ(ex.まどマギにこそ現代のリアルがある、という掴まえ方は違うかもしれない。もう少し正確にいえば、そこにリアルを感じてしまう人と、そうでない人がいて、その間の交通が閉じられていて、閉じられたままで回ってしまうのが現代で、それを繋ぎたい(あるいは繋がらないままで、しかし破局には至らない社会システムを提案したい)、というのが彼の欲望だった、のかな。
▽で、そういう彼の方法は、3.11という〈危機〉によって“終わらない日常”が一瞬崩れた時に、為す術がなかった(ように彼には思えた)。 ——なんだかつらつらと彼のことを考えています。これは……恋かもしれません先生!