ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

児童ポルノ禁止法改正をめぐる思考。CSEC Japan Forum 2010をめぐって。〔2010.5〕

▼CSEC Japan Forum http://no-csec.blogspot.jp/
「CSECジャパンフォーラム2010 児童ポルノ法改正を求めるシンポジウム/“子どもたちを守りたい!〜子どもの買春、ポルノ、性的搾取のない明日へ〜”」
「【日時】2010年5月30日(日) 14:00〜17:00 (開場13:30)」「【会場】JICA横浜4階セミナールーム“かもめ”/<アクセス>JR/横浜市営地下鉄 関内駅もしくは桜木町駅から徒歩15分/みなとみらい線 馬車道駅より徒歩10分 みなとみらい駅より徒歩12分/<地図>http://www.jica.go.jp/yokohama/office/access.html 」 「【プログラム】 14:00 開演/ 14:05 シンポジウム“実現!児ポ法改正—子どもを守りたい!!”/ 15:35 休憩 /15:50 会場からの質疑応答 /16:50 閉演」
「シンポジスト:中里見 博 氏(福島大学 准教授)/ 藤原 志帆子 氏(NPO法人ポラリスジャパンコーディネーター)/ 百瀬 圭吾(CSECジャパンフォーラム実行委員長)」「コーディネーター:森田 明彦 氏(尚絅学院大学 教授)」
「「子どもポルノ」は、子どもへの虐待であり、子どもの権利を侵害するものです。/ 日本は、「子どもポルノ」の世界一の生産国として国際的に批判を受けています。/ 日本で大量の「子どもポルノ」が生産され日本から世界中に「子どもポルノ」が流され続けています。/ 「子どもポルノが生産される」ということは子どもが被写体とされ性虐待の被害に遭うことを意味します。/ 「子どもポルノが流され続ける」ということは被害者となった子どもがその後もずっと精神的・身体的苦痛を受け続けることにつながることを意味します。/ そして、子どもポルノの氾濫をくいとめないということは子どもへの虐待を容認する社会を、私たちが受け入れていることを意味します。/ CSECジャパンフォーラムでは、この現状から子どもたちを守り 子どもたちの権利と安全で健やかな暮らしがまもられるように 「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児ポ法)の強化を求め 法改正に向けたシンポジウムを行ないます。/ 有識者NGOで活動する方々と法律 改正について学び、現状を知り、市民からの声を発信していきましょう!ぜひご参加ください。」
「****CSECジャパンフォーラムとは***/ 世界中いたるところでCSEC(シーセック:Commercial Sexual Exploitation of Children 「子どもの商業的性的搾取」の意)の被害に遭っている、子どもたちの問題に取り組む様々な団体や個人が情報共有し、協力するために有志に よって設立されたゆるやかなネットワークです。」
 →▼児童ポルノ法改正を求めるシンポジウムのご案内|国際NGO セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン http://www.savechildren.or.jp/sc_activity/crc/100514-1.html
 →▼CSECジャパンフォーラム2010 <児童ポルノ法改正を求めるシンポジウム>〔2010年5月10日〕|森田明彦『自遊日記』 http://fwge1820.wordpress.com/2010/05/10/


▽以下、児童買春・児童ポルノ禁止法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)改正案問題が喚起する思考。ノート。


児童ポルノ禁止法をめぐって考える。「規制」なるものに賛成する者と反対するもの。政治とは何か。正しいのは明白であるにもかかわらず、採られてこなかった政治戦略。
▽考えられるべきこと: Q. 「人権」は擁護されるべきか? Q. 表現の自由とは何か? Q. 表現の自由はいかなる条件下において擁護されるか? Q. 表現の自由のジレンマはいかに解決されるか?
 →▼児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律|法令データ提供システム http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO052.html


 →▼児童ポルノ規制強化訴えシンポ、単純所持禁止が必要/横浜〔2010年5月30日〕|ローカルニュース|カナロコ神奈川新聞社 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1005300024/
▽「2010年5月30日」「児童ポルノのまん延に対する規制強化を訴えるシンポジウムが〔2010年5月〕30日、横浜市中区内で開かれた。CSECジャパンフォーラムの主催。1999年に施行された児童買春・児童ポルノ禁止法は昨年、自己観賞目的の「単純所持」を禁じる改正案が与野党間で大筋合意されたが、その後は宙に浮いた状態となっており、フォーラム参加者は今国会での早期審議入りを求めた。/ 児童ポルノをめぐっては単純所持のほか、漫画やアニメなどの架空キャラクターによる性描写を規制対象とするかどうかも論点。「被害児童が実在しない創作物は区別すべき」「表現の自由を侵害する」との反対意見があり、議論が続いている。/ パネリストとして参加した中里見博・福島大准教授は「子供の性的人格権を侵害する商品は需要を抑制すべきだ」と、単純所持規制の必要性を強調。漫画やアニメについても「子供を性の対象とするのは虐待。それに寛容な社会を促進する仮想商品の供給は強い公共性を持たない」と指摘し、規制すべきとの考えを示した。/ 人身売買や性暴力の被害者支援を続けるポラリスプロジェクト東京事務所の藤原志帆子さんは「経験の少ない子供たちをもとにした児童ポルノは一度作られたらネット上にまん延し、回収は不可能」と、対応を訴えた。」


▽当日の記録:
 →▼〔録画:〕CSEC Japanフォーラム 第1部, Recorded on 2010/05/30 onoring on USTREAM. Call-in http://www.ustream.tv/recorded/7322485
 →▼〔録画:〕CSEC Japanフォーラム 第2部, Recorded on 2010/05/30 onoring on USTREAM. Call-in http://www.ustream.tv/recorded/7324170
 →▼〔実況まとめ:〕児童ポルノ等禁止法改正案の早期審議・採択を求めるシンポジウム〔2010/05/30〕 - Togetter http://togetter.com/li/25333


▽リンク先記事を再読。やはりRT元のような反応は論外。コメントに価しない。〔2010/06/01 20:23:51〕 →QT @na-: @**** これはどうだったの? RT @*******: 〔※リンク先の神奈川新聞記事について〕「漫画やアニメについても子供を性の対象とするのは虐待」ということは、漫画の中での殺人も犯罪になっちゃうよね? 火事のシーンを描いたら放火犯? しっかりしてくれ、中里見博(福島大准教授)せんせー。 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1005300024/
▽――RT元発言者は記事を読めていない(正確には、読む気がない、と言うべきだろう)。端的に誤読である。

▽記事中に引かれた中里見発言は、『「子供の性的人格権を侵害する商品は需要を抑制すべきだ」と、単純所持規制の必要性を強調。漫画やアニメについても「子供を性の対象とするのは虐待。それ〔児童虐待〕に寛容な社会を促進する仮想商品の供給強い公共性を持たない」と指摘し、規制すべきとの考えを示した』であり、そもそもRT元発言者が言うようなことを中里見氏は主張していない。彼が主張していない議論を彼に帰属させるのは不当である。〔※追記: 記事中のカギカッコの位置を確認せよ〕
▽なぜ、かくも単純で初歩的な誤読が生じるか。認知フレーム。欲望。相手が事実として何を主張しているか、ではなく、相手が「こう主張していて欲しい」という読み手の欲望が優先される。相手の主張が読まれるのではなく、読み手の欲望が対象に読み込まれる。そうした無自覚な意識のもとに、他者との対話は存立しえない。かれらは他者の主張を内在的に理解すること、すなわち「相手が正しいとしたら」という仮定のもとにテクストを読むことすらできない。
▽「中里見博(福島大准教授)せんせー。」という呼びかけは敬意の表現ではない。他者への侮蔑である。自己の誤読を疑うことすらできぬ知性が何様のつもりか。


▼――前掲神奈川新聞記事から取りだせる論点があるとすれば、たとえば;

▽【A】 「需要の抑制」とは何か、その意味するところを確認した上で、それが現実に実現可能か否か。そして、単純所持(自己観賞目的所持)規制によって「需要の抑制」は達成されるか否か。
▽【B】 仮想商品(創作物)の流布は、虐待=実在チャイルドポルノの存在に対する社会的寛容を生じさせるか否か。仮に生じさせるとすれば、その場合の「流布」は具体的にいかなる状態(状況)での流通においてか。またもし仮に社会的寛容を導くとした場合、当該表現の流通(供給)は「強い公共性を持たない」と言えるか否か。強い公共性を持たない場合、「規制されてもよい」ではなく、「規制されるべき」と言えるのか(逆にいえばおそらく、「表現の自由」を掲げる“覚悟”が私たちに問われるのはその場所において、でしかないだろう)。
▽【C】 「性的人格権」とは何か。チャイルドポルノは「子供の性的人格権」を侵害するか否か。また、チャイルドポルノのどのような側面が侵害を生じさせるか。


▽以下、きわめて粗いスケッチ。その「最大限の可能性」において読まれることを希望。〔2010/06/01 23:43:18〕

【1】 社会に存在するイメージ(表象)は、その意図にかかわらず、社会の構成員になんらかの「メッセージ」を送ってしまっている。それが普遍的に存在すればするほど、社会の成員に与えるメッセージは強くなる。なお、ここでいう「メッセージ」は〈ポジティブ〉なものではない。
▽ 【1-b】 メッセージが「ポジティブでない」というのは、特定の行為を積極的に称揚するものではない、といった意味である。裏側から言えば、それに対する感度を鈍らせる、と言ってもよい。人は慣れる/馴れる。 〔※単純な環境犯罪誘因説、マスメディア強力効果説は採用されていない。〕
▽ 【1-c】 生じる「メッセージ」は、意識的なものである必要もない。それはむしろ無意識の領域、道徳感情、社会の公序良俗といった鵺的な、しかし確実に存在している何かに訴えかける。 ex. 麻薬の「イメージ」が遍在する社会では「麻薬は悪くないもの」というメッセージが生じる。麻薬に対してより寛容になる。(「実在物」としての麻薬が社会に溢れている必要はない。)
▽ 【1-d】 「女性は男性にかしずくもの」というイメージの氾濫する社会では、男性にかしずかない女性は異端とみなされるし、現にみなされてきた。実際に女性が男性にかしずくかどうか、ではなく、そのイメージの氾濫が影響力をもつ。 〔ニワトリタマゴ問題。〕

【2】 児童虐待イメージ(表象)が氾濫する社会では、児童虐待を「悪くないもの」とするメッセージが生じてしまう。
▽ 【2-b】 少なくともそれは徹底的に敵対すべきものというよりは、あるのは「仕方のないもの」とするメッセージが伝達される。さらに言葉を強くすれば、児童虐待は「強く否定する必要はないもの」だと。
▽ 【2-c】 逆に言えば。社会的に否定されているものが、これほど普遍的に流通していることがありえるだろうか。目の前にこれほど溢れかえっているのに「実はいけないことなんだ」なんて言われても!

【3】 同様に、児童を性的な対象とするマンガやアニメ(「実物」でない児童虐待)の氾濫もまた、児童を性的対象とすることを許容するメッセージ(少なくとも「あえて強く否定する必要はない」という)を、社会の構成員に対して送ってしまう。
【4】 とすれば。そうしたイメージの氾濫を止め、社会的なメッセージの発生を止めることには意味がある。児童虐待に対して社会および成員が「より寛容」になる契機を減らせるから。


▽――以上の議論では、「フィクションの存在が犯罪を誘発する/要因になる」とは、言われていない。素朴な因果論は、一切主張されていない。

▽主張されているのは、あるイメージ(表象)が社会的に氾濫することは、そのイメージに対してその社会を「より寛容にする」、である。社会に対して、そのイメージを否定する動機よりは、それを許容する動機を供給する。
▽私はこれに反論するのは難しいと思っているし、普通の人は説得力を感じてしまうだろう。そして、そもそもこうした議論を理論的に論破できたところで、これに説得力を感じる普通の人たちを説得できないのなら、政治的にはまったく無意味である。必要なのは、この論理に説得力をもたらしている現実感覚(環境)の捕捉とそれを改変する技法である。
▽――割れ窓理論Broken Windows Theory が仮に妥当だとすれば、上の議論は肯定されうる。なお、それに対する異論としては、cf.『ヤバい経済学』(S・D・レヴィット、S・J・ダブナー)


▼なぜこの論理が組み立てられたか?

▽推測1: 児童ポルノ禁止法はできた。私たちの長年にわたる被害者救済運動の努力と、政治家への根気強い請願活動によって、チャイルドポルノはそれ専用の法律が存在するようなかたちで「犯罪」と名指されるようになった。が、現実にチャイルドポルノは抑制できていない。被害者からの悲鳴は、変わらず私たち救済NPO窓口その他にひっきりなしに届く。web上のチャイルドポルノ流通も依然として止まらない。どうして? なぜ?
▽推測2: その原因は、日本社会がチャイルドポルノの被害や問題に対して関心を持っていないから、ではないか? 「チャイルドポルノ? それは問題だね(でも私は関係ないな)」。「まったく憂慮すべき問題だ(警察がやってくれるでしょ)」。「チャイルドポルノには私も反対です(私以外の誰かが対策してくれることでしょう)」「それはよくないねえ(しょせんごく一部の問題でしょ)」。「十全な対策が必要だ(誰かがやるでしょ)」。
▽推測3: 私たちはチャイルドポルノの存在・流通と被害者の悲痛な声を、日本社会に対してずっと語り続けてきた。これは社会的問題です、手をさしのべなければ、と紹介してきた。けれどこの社会は無関心だ。ならば、これは社会の「意識」を変えるしかない。みんなが関心を持たないことには、私たちが聞き続けている被害者の悲痛な声は止められない。


▼誤解が生じたらいやだな。都条例の改正問題と児童ポルノ禁止法改正問題は、とりあえずは別の話。私は後者(児童ポルノ禁止法)について論じている。両者を一緒に論じるのを一概に非難するつもりはないけれど(政治的戦術としてはそれもまたありうるのだろう)、私はしていないし、現状、する心算もない。〔2010/06/02 15:39:29〕

児童ポルノ禁止法改正問題(「自己鑑賞目的所持」の禁止を組み込む主張の是非)について言えば、それに対抗する反対派にとって「正しい政治戦略」は明白だった。
▽すなわち。改正反対派は、推進派の提案よりも効果的な“実在児童ポルノ”対策を立案、実現し、運用して犯罪を摘発し、改正推進派よりも被害者の減少と救済に力のあることを示せば、よかった。前回の法改正からでも、何年の時間的猶予があったろうか。
▽試みたけれどできなかったのか、それとも、そもそもしなかったのか? 私は、後者だった。「児童ポルノは根絶しなければならないと私たち反対派も思ってる、でも…」という語りは、もう10年近く前の横浜会議から変わってない。私はいったい何をしているのだろう?
 →▼TINAMIX|「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」レポート〔2001年12月17-20日〕 http://www.tinami.com/x/report/16/


▼口汚く、意味あることを語る方法について。〔2010/06/02〕
児童ポルノ禁止法改正問題について。そのような語り口でしか伝えられない何かは存在するか(cf. ex. 吉本隆明『「反核」異論』)。語り口が、書き手(発信者)自身と受け手(受信者)に与える影響を計測すること。感情の操作。


▽わ。フォロワー倍増!絡み激増!なネタを振っておられる…〔2010/06/02 23:39〕 →QT @sociologbook: 真っ当なポルノ(笑)に関しては譲るとしても、児童ポルノにほんの少し規制が入りそうなだけでファシズム表現の自由の侵害だ監視社会だと騒ぐ連中は、被害者面して他者への暴力をまき散らしているだけだ http://sociologbook.net/log/201006.html#eid481*1
▽でもTwitter的なものは、それでいいのかも。話しかけられても話す意味がある人の相手だけしてればいいし(物理的に全mentionに応答するなんて無理だし、そもそもシステムが不安定で信頼性がない)。mentionをスパム状態で投げてくる人はブロックしちゃえばすむわけだし。


▽うー、おっしゃることは多分わかるんですが、ごめんなさい、私は今、都条例については考えてないのです…。 →QT @na-: @**** 児童ポルノについてはとっくに規制が入っているし、今回の都条例では賛成派も反対派も意見が一致してるところなんですけどね。
▽過日の児童ポルノ禁止法改正推進派の集会〔2010年5月30日、CSECジャパンフォーラム主催〕も、それがチャイルドポルノ、児童虐待問題の集会だからまじめに足を運んだので、これが都条例〔東京都青少年の健全な育成に関する条例〕の改正推進派の集会だったら正直にいえば、遊びに行くだけです。ust配信についたコメント(tweet)とか見ても思ったのだけど、何かきもちわるい勘違いがいわゆる表現規制反対派の一部にある気がしてきた…。
▽cf. →▼児童ポルノ等禁止法改正案の早期審議・採択を求めるシンポジウム〔2010/05/30〕 - Togetter http://togetter.com/li/25333


▽たとえば、「規制派のプロパガンダ集会にスパイ潜入中!!」とかいった、いわゆる“表現規制反対派”が平気で使ってみせる話法に嫌悪の反応が生じない空間。私からすれば、読んだ瞬間に、「こんな奴らの同類だとは絶対思われたくない!」と直感する“規制反対派”のたたずまい。言葉の選び方からうかがえる発想、認知フレームの低劣。
▽そんな輩が、「実在の児童ポルノには私だって反対です」? 嘘だろ。お前は「賛成じゃない」、だけだろ。

▽実際、児童ポルノ禁止法改正推進派の集会に行ってみても、散会後に、「私は創作物規制には反対の立場ですが、今日のお話について私の理解が正しいか確認たいことが…」って真剣に相手の話を聞きに行った「スパイ」とやらが何人いるというのか? なぜいない? おまえら本当に相手の話を聞く気なんかあるのか? 本当は相手との対話に、相手を〈理解〉することに、ハナから興味ないんじゃないのか。相手を「叩きつぶしたい」だけなんじゃないのか?
▽〈対話〉ってのは、論破することじゃないし、そもそも「規制派集会をスパイする」なんて用語法に嫌悪感をおぼえぬ族、自分の操る言語に鈍感な輩に、〈対話〉なんてハナからできるわけないんだよ。なんだよスパイって。規制派の集会なんて、どこだって公開だよ。一般的には「表現規制反対派」に分類されるだろう私だって普通に参加予約できたよ。隠れて「スパイ」する必要なんざ一厘たりともありゃしない。
▽――採用する用語系によって思考が歪み、汚染されることへのおそろしいほどの鈍感さ。自己の認知フレームへの無自覚。「表現の自由」を掲げた瞬間に生じる思考停止も同じ症状だろう。「性的自己決定権」も似たようなものか。


▽「私も実在児童ポルノには反対です、ですが……」。 少くとも10年前から表現規制反対派の言葉の型は変わってないよ。そういえばあの会議も横浜だった。パネリストは今と変わらない反対論をぶってたさ。けれどそこでは「“実在児童ポルノ”には絶対反対!」のはずのパネリストたちの口から、ではどう反対するか、いかなる反対活動、被害者救済活動をすべきかは、一言も、語られなかったよ。
▽スパイ? 政治ごっこをしたいのか? 結構、したまえよ。けどね、君が「“実在児童ポルノ”には反対だ」というなら、推進派は《味方》なんだよ。協力しながら路線闘争すりゃいいんだよ。戦争ごっこしたって、君が「児童ポルノには反対ですが…」と前置きする以上、最終的に勝てないんだよ。そうして実際、規制反対派は負け続けてきたんだよ。
▽――そう、規制反対派は「負け続けて」きた。なぜか? それを陰謀論や社会の非合理性によって理解すべきではない。


▽対話? スパイなんかしなくたって、彼らの言葉は最初から「公開」されてるんだよ。だから力を持ってるんだよ。中里見氏の議論だって、正直、新しくなんかない、突飛でもなんでもないんだよ。その程度の議論すら読み取れず「中里見せんせー」? そりゃ向こうにしてみりゃ無視するさ。最初から話聞く気なんかない、相手の言うことを聞こうなんて気のない反応なんだから。対話しようとしていないのは誰か、もう一度よく考え直した方がいい。
▽――改正推進派の主張をアグネス・チャンの素朴な主張に代表させることで「楽」をしているのは誰か? あるいはたとえば『ポルノグラフィと性暴力 :新たな法規制を求めて中里見博明石書店は何年に公刊されたか?


▽誤読してしまうような人にも正しく理解されるように議論すべきだ? なんだそりゃ。あんなの私にだって理解できるレベルの議論構成だっての。そもそも虚心坦懐に読めば誤読の余地などないだろうが(記者がまともなのか、発言者本人の校閲が入っているのか?)。どんだけ相手に要求するんだよ。おまえが、勉強しろよ。本気で反対したいなら、それが礼儀ってもんだろ。だいたいあの程度の議論すら誤読するようなリテラシーで世間を説得できると思ってんのかよ。いや、君が世間を説得する気がない、すなわち「政治」をする気がないなら、それでかまわないが。
▽政治? 本気で政治する気があるなら、こまつばらさん〔※2010.5.23 京都国際マンガミュージアム・シンポジウム、質疑応答〕なんだよ。彼女みたいな立場にいる人間をかつぎあげないで“規制推進派”に勝てると思ってんのかよ。実際に被害者の救済にあたってて、でも創作物規制には反対だよ? 推進派とガチでやりあえる最強の反対派だっての。そのこまつばらさんの発言を君たちはどう遇したか。その程度の政治的判断すらできず、彼女のような人材を使いこなせずに「政治」なんて笑わせる。
表現の自由? OK。なら推進派にだって表現の自由はあるよね。問題は、「表現の自由のある部分が他の人権と衝突している」(と推進派が考えてる)ってことでしょうが。ならば「表現の自由」を叫んだって無駄なんだよ。相手は「そんなことは最初から分かってる」と答えるだけなんだから。


▽対話が成立しないんじゃない、「改正推進派」の立ってる場所と自分の立つ場所の相違に、反対派が無自覚なだけなんだよ、むしろ。だから推進派はキチガイと悪魔的策士、利権にむらがる悪人どもの集まりに違いない……なんて幸せな錯覚を起こしてられるんだ。まともな規制推進派は、こっちの言うことなんざ百も承知だっての。相手の力量を矮小化して勝てる「政治」なんかありゃしないんだよ。
▽というわけで、私は規制案に反対です。プライベートモードのおかげで「利敵行為だ!」なんて共産主義的吊し上げも受けずにすんで、表現の自由も守られる。外では必死に署名集めて私はこの改正案に反対です! 私、きっとああいう反対派と同列に見られてるんだろうなあ…と思いつつ。鬱屈もしますわね。


▽しかしあれだ、「規制推進派」がいわばポストモダンな場所で考えている――モダンの後に来るもの、という価値中立的な意味で――というのは、まじめに考えておいたほうがいい。あいつらはプレモダンだと、どうしても思いたくなるのだろうけれど。(というか、対する規制反対派のいかほどが、自ら真剣にモダニストの立ち位置を貫徹する苦しみを味わってるのかもよくわからないが……というか怪しむべき点が多すぎるのだが。)
▽ここで“ポストモダンな場所”と言い指しているのは、たとえば、「表現の自由が大切だ」なんてモダニズムの主張は規制推進派は百も承知であって、言われても痛くも痒くもないと(そもそも彼ら自身もそれに同意しているのだから)。むしろかれらは近代的な「人権」を更新しようとしているってことです。社会権とか人格権とか、人権が拡張されてきた過程もこんな感じだったのかなあとか思っています。 →QT @nan-: @**** そのポストモダンってのがもし存在するなら具体的に説明してほしかったのだが、今のところヨッパライの繰り言と既存の仕組みで説明できる部分しか出てこないんで、読むの止めようかと思ってるところです(w
▽人権の拡張、あるいは更新。かれらが行おうとしているそれが成功するのかどうかは、まだ分からない(私がその拡張に同意できるかどうかもまだわからない)。しかし、これが別の国では、拡張とか更新以前に「近代的人権をこそ人民の手に!」って主張して捕まって獄死者とか出てしまう現代世界というのは…。


▼nan-氏との対話。
QT @nan-: @**** 「抑制できていない」それは違いますね。データ的にも反証が出ている。なおかつ少なくともそれに関する議論の場に推進派は出てきていない。印象操作の可能性が否定されていない。なおかつ、規制側〔の集団〕は〔達成すべき〕数値目標(ノルマ)が必要になる組織であることも意識すべきです。 QT @****: 推測1: 児童ポルノ禁止法はできた。私たちの長年にわたる被害者救済運動の努力と、政治家への根気強い請願活動によって、チャイルドポルノはそれ専用の法律が存在するようなかたちで「犯罪」と名指されるようになった。が、現実にチャイルドポルノは抑制できていない。被害者からの悲鳴は、変わらず私たち救済NPO窓口その他にひっきりなしに届く。web上のチャイルドポルノ流通も依然として止まらない。どうして? なぜ?
▽そう、“野次馬”である私たちはクールに「客観的」にそう言うことができます。でも、かれら改正推進派は“現場”に従事し、“当事者”として生きている。被害者の悲鳴をまともに受けている。それは途切れないわけです。かれらは「データ」と対しているわけではない。かれらを説得したいなら、彼らの感情に寄り添った上での言説が必要だと私は思っています。〔2010/06/02 00:30〕 →QT @nan-: @**** 「抑制できていない」それは違いますね。データ的にも反証が出ている。なおかつ少なくともそれに関する議論の場に推進派は出てきていない。印象操作の可能性が否定されていない。//


▽厳密にはというか、私に言わせれば、「まったく」違います。上に祖述してみた議論と、単純な原因→結果論(フィクションへの接触を原因として犯罪という結果が生じる)とは。単なる言い換えではありえない。単なるプロパガンダ論とも言えない(同様の理屈を、私たちも自分に都合のよい時には用いるだろう)。率直にいうと、「げ、これは厄介な論立てだ」と思います。なお、もし世間一般の人びとが両者の議論の水準を区別できず、それによって受け取る説得力の相違も感受しないなら、いわゆる表現規制反対派は政治的にきわめて「幸運」です。 →QT @nan-: @**** それは単なる言い換えではないの? 厳密に違うとしても、それこそ、一般の大多数がそれを単純な原因・結果論と区別できるとは思わないんだけど…。理論的には単なるプロパガンダ論だし。 RT @****: //社会に対してそのイメージを否定する動機よりは、それを許容する動機を供給する。
▽うーん、私はそうは思いません。むしろそれこそが政治の「技術」だと思います。データや科学や知性で世界が動くなら、わたしたちの社会はもっと幸せになっているはずです。 →QT @nan-: @**** それは、セラピーですね? セラピー的な政治、というものを期待している人は脳天から花が咲いていると思います。 >RT @****: 彼らの感情に寄り添った上での言説


▽「それこそが政治の技術である」というのは、たとえば次のweblogエントリーで言われているような意味においてです。あるいは対立する利害を通約する能力、という意味での政治です。 →▼リスク社会における公共的決定2|on the ground http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100325/p1 〔2010/06/02 00:55〕
▽「動機」を、あるいは「感情」をこそケアする必要があるのは――「彼らの感情に寄り添」う必要があるのは――、セラピー的に相手を幸せにするためではなく、まさにそれが「政治として効果的」であり「有効」であり「効率的」だからです。 →QT @nan-: @**** あ、それは貴殿の理想としての政治論ですね。それには大きく同意/共感します。でも、たとえば現在の警察の利権構造や、天下りのシステムのどこにそういったセラピーが関わるのか具体的に考えてみて下されば、現状がどうなっているのか簡単に想像がつくと思います。


▽彼ら(改正推進派)を「論破」したところで、かれらは私たちの決定に従うわけではない。むしろ反撥を強めるだけです。政治においては、結論に必ずしも賛成しない者も、出された決定に従わなければならない。もし事態が「政治」であるというならば、私たちは相手を私たちの行う決定に、自発的に従わせる必要があります。〔※つまり、それは単なるリアリズムであって理想としての政治論でもなんでもない。〕
▽「合意」を形成しなければならない。それが行われないならば、かれらはずっと同じことを言い続け、蒸し返し続けるでしょう。(実際、児童ポルノ禁止法をめぐる「論争」の歴史はそうではなかったか?)
▽あるいは、かれらの「感情」など無視しても、かれらの求める「結果」を私たちが自明なかたちで(有無を言わさぬかたちで)もたらすなら、かれらは私たちになびくとは思いますが。もっとも、その時にはかれらはそもそも消滅しているはずです(利害の衝突がないのですから)。


▽――ことが〈政治〉であるなら、注目されるべきは「何が正しいか」ではなく、「何が正しいかのように見えているか」である。敵/味方の論理は、“かれら”と“私たち”がともに同じ一つの社会の成員として生きている、という根本的な現実を覆い隠す(にもかかわらずそれは〈政治〉の本質でもある)。そうした誤認のもとでは、対立は激化し、社会統合の失敗がもたらされるだけである。むろん、現在進行形で進行する表層レベルにおける政治闘争において、敵/味方の論理が効率的であることは疑えない。しかし、長期的視野においては、そこへの固着は弱肉強食の政治文化を結果する。(そうして、弱肉強食の政治は、自分が弱者に回ったときの損害が大きい。)
▽――「敵/味方」「闘争」「弱肉強食」といった単語群(術語系)を用いることによって、〈政治〉の理解がいかに偏るか、歪むか、汚染されるか。留意せよ。


QT @nan-: @**** 記事中の中里見氏発言を拾うなら「[児童の性的虐待]に寛容な社会を促進する仮想商品の供給」とあるが その一言のなかに因果関係を肯定するロジック暗黙のうちに含まれていることが問題。(会場の発言と記事の要約が一致していない可能性はあるがそれを指摘するなら話はまた別)〔2010/06/01 20:46〕
▽――暗黙の含意。その理屈は理解できないではない。だが、この論理を採ることが許されるなら〔※ここで言われるような暗黙の含意を対象に読み込むことが許されるなら〕、〔いわゆる表現規制反対が主張する〕「ゾーニング(区分陳列)」もまた同様に否定できる。ゾーニングの論理は本当に「見たくないものを見ない自由(不意打ちを受けない自由)」だけを賭け金にしているのか?〔そこには「因果関係を肯定するロジックが暗黙のうちに含まれている」のではないか。〕 因果関係がないというなら、そもそもゾーニングなぞ不要ではないのか。なぜゾーニングすれば問題ない、などと主張するのか。 (なお、会場での発言と記事との間に不一致はない。)

QT @nan-: @**** 少なくとも、記事中の発言では「因果関係がある」ということを、アプリオリの前提としているわけですよね? それ自体が主眼でないにしても。また、それを個人に帰着させているという批判にはあまり読めなかったし、そういう批判形式はむしろ諫められつつあるように感じていますが。
▽――後段。RT元における「中里見博(福島大准教授)せんせー。」という発話は、あきらかに「中里見 博」という個人に彼の主張していない論理を帰属させている(=「それを個人に帰着させている」)。 そうした非難が諫められつつある、という気運は認められるかもしれない(だがそこに統計的(「データ的」)根拠は、ない)。
QT @nan-: @**** だとすると中里見氏の議論では全く「反論」になっていない。そのアプリオリな前提(空想が犯罪の要因になるという点)については、随分以前から根拠が疑われているわけですから。いくら言っても聞く耳もたず、同じ主張でごり押しされれば、悲鳴も上げたくなるのは分かる。

▽――本当に「聞く耳もたず、同じ主張」なのだろうか? 現実には規制推進派も重層性(あるいは複数性)として存在している(いわゆる表現規制反対派がそうであるように)。対話を拒否しているのが「賛成派」だけなのか、再考の余地はある。
▽なお、そもそも中里見は「空想が犯罪の要因になる」といった粗雑なことを主張していないし、彼の論理構成はそれを「アプリオリな前提」にもしていない。それは当該記事にも明らかである〔※彼の“感情”は関知するところではない〕。また、中里見博『ポルノグラフィと性暴力』が単行本として明石書店から公刊されたのが2007年(平成19年)、収録論文はそれ以前に発表されている。
▽活動を続けているポルノ・買春問題研究会やその他関連する論文・論説ときちんと“対話”してきた「反対派」がどれほどいるだろうか?


QT @nan-: @**** 僕が気になったのは、たとえば中里見氏の〔集会での〕講演で、その前提を「アプリオリでなく」確認する作業が行われていたかどうかという点です。そうすると、それは対話の糸口になりうるかもしれない。
QT @nan-: @**** 仰るような「論理のずらし」ってのは本質的な問題に関わることでしょうか? でも一般人への説得力、というのは、むしろ周知宣伝の問題であり政治的(表層的)問題ですよね。既に僕が挙げたような、命題の中に価値判断を織り込むというトリックは、けっこう多くの人が了解してる。
QT @nan-: @**** 今回の問題では規制側/反対側が政治的に対等ではないということが大きな問題であり、前提なんだけど…。多分に純・思想的な議論じゃなくて政治的な問題が先行しているわけですね。そこに思考の遊びを持ち込んでもほとんど意味がないでしょう。〔2010/05/31 19:51〕

▽――「対話」が問題なのか、「政治」が問題なのか。後者であるなら、対話への志向が「思考の遊び」とみなされるのはじゅうぶん理解できる。前者(「対話」)を、それが政治的に利敵行為となりうることを理解した上で遂行しようとする発話者は当然、「敵」と認定され、否定される。
▽〔※cf. →▼作家水戸泉らの矯風会訪問批判@gtk発信源まとめ - Togetter http://togetter.com/li/73069 →▼作家水戸泉らの矯風会訪問批判@gtk発信源まとめ2 - Togetter http://togetter.com/li/73598


QT @nan-: 関心が無いのではなく、「無かったことにしたい」のだと思います。禁忌対象とはそういう扱いを受けるものです。またそれが表向きには存在しなくても裏では別でしょう。「無いはずのもの」は政治的な意味を帯びます。〔2010/06/02 00:16〕 RT @****: 社会がチャイルドポルノの問題に対して関心がない//
▽――「事実」としてはそうである、と言うことはできる(と思われる かもしれない)。私が語っているのは、にもかかわらず〔※たとえそうだとしても〕、かれらの「実感」に照準しないなら、それは劣悪な規制推進派の振る舞いと同じではないか? という問いになるだろう。


QT @nan-: @**** 推測3については、「言葉狩り」問題の時期からずっと続いてきたパターンですから、目新しいものではないですよね。一種のロマンチシズムですが、政治利用されやすい。ポリシーロンダリング、という名前がつくほどには認知が広まってきたようです。〔2010/06/02 00:22〕 QT @****: 推測3。私たちはチャイルドポルノの被害者の悲痛な声を、社会に対してずっと語り続けてきた。これは問題です、と紹介してきた。けれど社会は無関心だ。ならば、これは社会の「意識」を変えるしかない。みんなが興味を持たないことには、私たちが聞き続けている被害者の悲痛な声は止められない。
▽――理解できる。であるならば、いわゆる「表現規制反対派」における「ポリシー・ロンダリング」もまた同様の潔癖さをもって批判の対象とされるべきだろう。自らの「動機」を見つめる態度。


▼yo-氏との対話。
QT @yo-: 「需要の抑制に刑罰は効果があり、長期的に見て刑罰によって需要が抑制されれば基礎にある子供への性的欲望は縮小させうる」は…そうかなあああ??

▽「そうかなあ」と反応するよりも、「なぜ論者はそういう結論に至ったのか」を内在的に理解しようとしてみるほうが益は大きいかもしれない。〔2010/05/31〕
▽うん、同感です。 とすると。チャイルドポルノの被害を抑制するには、需要の操作を考えるよりも、〔逆に〕「供給の抑制/禁止」がより効果的だと私たちは考えている、ということになる。では、供給を抑制する効果的な方法はなんだろうか? という理路になるね。〔2010/05/31 1:42:39〕 →QT @yo-: @**** うーん…児童への欲望は潜在的には〔人間の自然としては〕存在しない〔とでもいう〕ような言い方がとてもいやだったのです。呟いてても仕方ないことなんですがどんなに刑を重くしたって、需要がなくなるとは思えない。終わり。
▽不毛だとは思わない。少なくとも免疫はつくから。免疫があればヘンテコな議論に騙されない。ヘンテコな議論に騙されない人が多いと、世界は悪くはなりにくい。(よりよくなるかどうかはわからない。)〔2010/05/31 23:30:01〕 →QT @yo-: 私が考えたところで不毛やん…。


▽児童性愛者を減らす、つまり、ある「欲望」の絶対量を減らす手法、という話は別レイヤーで考えたほうがよい気がします(問題の質がちがう)。行為としての児童虐待そのものを減らす、また救済する手法、というのもまた別レイヤーで考えたほうがいい(対象が広すぎる)。 →QT @yo-: @**** 需要の厳罰化よりも供給の抑制/禁止がより効果的かどうか。供給を抑制ですか…。ネット等広い目にさらされる物を減らす(二次被害を減らす)ことはあっても、児童性愛者を減らすことになるかは疑問です。
▽むしろ、マシだと考えるべき(だと私は思う)。 すべてを救おうと思うとろくなことにならないし、逆にもしマシだと考えないなら現状の放置が許されるから。 →QT @yo-: 児ポ供給の抑制・禁止で二次被害が減るだけでもマシなのか…? いや、 晒される(売られる)ことが児ポ被害の終着点なら、「撮られる」「虐待される」 段階で止まっているものの方がきっとたくさんあるはずで、 商売にする連中よりそういう趣味嗜好を持った人の方が多いならばやはり救いではない。
▽うん、どうにもできない。彼らはそれは可能だし、少なくともやらないよりマシ、と思ってる様子だけれど。(そして私は、どうにかしたい、というかれらのその意思は尊敬したい) →QT @yo-: 〔実際に児童への〕虐待が起こるのは〔起きているのは〕彼らが暮らす、ごく狭い範囲の町や家や人の中です。 その小さいコミュニティ中でひっそり行われる虐待が、推進派の人たちが言っている方法で どうにかできる気がしない。


▽今現在、製造され、存在し、流通しているチャイルドポルノ、を減らす方法はないのだろうか? かれら規制推進派は供給の操作は困難と認識し、ある意味「絶望」した。だってようやく児童ポルノ禁止法を実現したのに、自分たちのもとへ逃げ込んでくる被害者は一向に減らないし、web上の流通もほとんど止められてないのだから。だから需要を操作するしかない! となっちゃったわけで。私たちはそれに対して何を提案できるだろう? →QT @yo-: 真性の小児性愛者だけが加害者になるわけではなく、また出版物等に強い影響を受けたわけでもない人間が 加害者になる事実を、どうしたら解決できるかなんて私には思いつきません。
▽というところで、ふりだしの「不毛じゃないよね」に戻る。正解はないけれど、現実に目の前にあるチャイルドポルノに許容量を超えた傷を受けている人達がいて、それ減らす方法はある、はず。たぶん。その手だてを推進派とは違った理路で組み立てて実現しないと、反対派は勝てない。
▽そもそも勝つ必要があるのだろうか? というのはあるけれども。でも、すくなくとも私は、彼らの組み立てるロードマップに違和感をおぼえてしまうんだよね…。
▽――嫌悪感。この対話に生じているように感じられる「教師と生徒」といった空気。それは何に起因するか。


▼_monpe氏との対話。
▽私も一瞬そう考えてしまった…。で、まさにそういうことをやりかねないのがいわゆる表現規制反対派だと思っている自分自身に反省。 →QT @_monpe:あれは良いパフォーマンスだったと思いました。あの質問は規制反対派の意地悪だったのでは? とも。邪推。 RT @**** 司会者が、最後に読み上げた会場からの質問、それを読むことに迷った上で、あえて読み上げ、論争参加者の行動が生みだしうるステレオタイプに批判を加えたことにはある種の感激を覚えた。信頼できるスタイル。
▽――もしもあの質問が規制反対派によるものだとしたら、ほとんど憎むべきもの、生理的嫌悪をおさえきれない行動というべきであろう。唾棄すべき行為。 →QT @_monpe: @**** あの質問は断定しかねますが、反対派・賛成派どちらにもそういうことをしちゃう人というのは一定数いるのは間違いないかと。残念ながら。そういうノイズを抑えるためにも、公開で直接対話する場というのを、ぜひ見てみたいです。


▽〔2010年〕5月30日の集会後、司会者の方に話したこと。まず、「最後に取りあげた会場コメントへの批判は非常に好感をもった」と。
▽それから、「チャイルドポルノは根絶せねばならぬ、という点で規制推進派も反対派も一致し、またそれが「目的」であるなら、児童ポルノ禁止法という「手段」にこだわる必然性はないのではないか?」、と質問。
▽司会者からの回答(私の理解による): その意見は十分理解できる。だが、私たちにとって「児童ポルノ禁止法」は一種のシンボルなんだ。たとえば国会議員にも警察にも、日本が抱える大問題としてチャイルドポルノを考えているような人はほぼいないし、そもそも関心を持つ人自体がほとんどいなかった。そんな中、ずっと問題を訴えてきてようやく、本当にようやく出来たのが児童ポルノ禁止法。だから、チャイルドポルノが深刻な人権侵害であるという問題意識を国民的に喚起するためにも、どうしても児童ポルノ禁止法改正が、ある種の橋頭堡になってしまうんです、と。
▽つまり。 たしかに他の手段で解決するという発想も方法もありうる。が、悲しいかな、そもそも私たち日本人の大多数はこの問題に関心を持たず、解決への意志を持たない状況にある。その意識を変えなければ何をしようと実効性はないだろう。問題を問題として認識させたい、だから児童ポルノ禁止法なのだ、という話なんだと私は理解した。そして、だから(少なくとも)司会者の彼は、改正案が公の場、国会という場所で討議される、議論されることそれ自体を希望するのだろう。それは理解できる。首肯するか否かは別の問題として。


▽中里見氏には私の理解の確認。
▽仮に「性的人格権」を人権の中核に据えてみる。すると、他の人権との競合が生じた場合、性的人格権が優先する。チャイルドポルノのような問題に対しては、たとえば表現の自由よりも被害児童の人権が優位と考えられるようになる。そういう発想が可能だ、という議論を提起していると理解してよいか。
▽中里見氏の回答は、その理解でOK。補足してくれたのは、「表現の自由」を一つのものとして考えるから、議論がうまくいかない。表現の自由にも様々なレベルがある。たとえばここで問題になっている表現の自由を、「児童虐待画像を表現し出版する自由」と考えてみてはどうか? それと性的人格権とどちらが優先すべきだろうか? 〔※追記: この言い換えの論理には、説得される部分と、拡張されると危険な部分がある。〕
▽私から別の問題としてコメントしてみたこと。チャイルドポルノが問題とされる時、18歳未満が対象とされる。だが、日本で女性は16歳で結婚できる。これはおかしくないか? 回答:その通り。16歳規定は戦前民法から引き継がれている。女性差別の問題として考える必要がある。


QT @_monpe: 「隠蔽されたものを見せよ」という権利は毀損されてはならない。他方で「オレが見たくないものをオレには見せるな」という権利もある。でも「オレが見たくないものを皆に見せるな」というのはオカシイ。
▽基本的に同意できる、と思う。〔2010/06/05 23:43:49〕

▽それってゾーニングを容認する議論だと思うのだけど、第1文と第2文が現実には競合しちゃうのが問題だよね。そこに表現の自由のジレンマが絡む。 →QT @_monpe: 〔1〕「隠蔽されたものを見せよ」// 〔2〕「オレが見たくないものをオレには見せるな」 //でも〔3〕「オレが見たくないものを皆に見せるな」はオカシイ
▽――第2文と第3文の主張は論理的には接続しない。が、現実においてはしばしば連続してしまうのではないか。それはなぜか。おそらく、ゾーニングの論理が媒介している。現実がTwitter的な世界観(相互に完全に独立した主観タイムラインの並列)においてあれば、そうした問題は回避できる。見たくないものはフォローしなければよい、見られたくない相手はブロックすればよい。が、現時点で現実世界はそのような成り立ちをしていない。
▽大丈夫、わかってるよー。でも公言は推奨しない。 →QT @_monpe: ちなみに建前ではああ言うでしょうが、本心では「見たくないものは目をこじ開けて見させろ」。「見たくないもの」って、だいたいその人にとって「見なくてはならないもの」だと思うので。


▽結局そこだよね…。表現の自由を掲げることで隠蔽されること、その苦い認識の上で反対派が選択すべきことって。 →QT @_monpe:競合したら個別の事情を鑑みて落ち着きどころを決めるしかないんでしょうね。当事者には「問題」だけど、考えようによっては素敵なこと、かも。
▽――表現の自由の優先が、現実に対して生じさせるタイムラグ、そこで生じる損害。表現の自由に要請される覚悟。自由のコスト。そこでは生じた損害への対応は、つねに「事後」とならざるをえない。
▽「ザ・コーヴ」や「靖国」の上映中止問題は確実に関連しているよね。別方面から非常にわかりやすい事例を加えるなら、光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求問題とかだと思う。〔2010/6/13〕 →QT @_monpe: @**** 先ほど読みましたー。さすがにtwitterより格段に読みやすいですね。取り上げていただいた私のつぶやきには「ザ・コーヴ」上映中止に関してのものも含まれていますが、確かに関連がある話ですね。
▽――弁護団への懲戒請求を、私たちの「表現の自由」の強度が試されたある種の局面として考えうるのではないか。あの懲戒請求に同意したような人が都条例改正問題において「表現の自由」を掲げるとしたら、その二重基準をどう考えるべきか。そこにある病理。NHK番組改編問題、人権擁護法案、国籍法改正、その他をリトマス試験紙として併用してみよ。かれらの言説を駆動する動機は本当に「表現の自由」なのか。


▼ノート:
沈黙の螺旋。マスメディアの強力効果説/限定効果説。ループ効果。認知フレームと解釈。政治への欲望と認識への欲望。認識とは、同時に実践でもあろうが。他方で、何かをすることも何かをしないことも等価である、と言ったのは誰であったか? 相手を「理解すること」と「賛成すること」を峻別すること。
▽権利の衝突。「表現の自由」とは何か。いわゆる規制反対派における、「そもそも表現の自由は絶対的なものではない」という当然の認識の不在は、いかにして補完されうるか。「ニュースは戦争の母である」(C・スミス)に対抗しつつ。
▽「政治ごっこ」を排すること。陰謀論を排除すること。
▽「児童ポルノ法」「児ポ法」ではなく、あえて「児童ポルノ禁止法」「児ポ禁止法」と呼ぶことで確保されるものは何か。対立する言説の磁場に捕らわれぬこと。(もっとも、「児童ポルノ禁止法」と呼ぶことによって捕らわれる磁場もまた存在するはずだが。)


▽メモ:
▽メモ。『概念分析の社会学』(ナカニシヤ出版)、第5章「「被害」の経験と「自由」の概念のレリヴァンス」(小宮友根)。
 →▼Togetter - まとめ「他人に危害をおよぼさない限りどんなポルノを見てもよいか?」 http://togetter.com/li/26028
▽メモ。言語行為論よくわかんない…という結論に達した記憶のある論文。要再読。 QT @contractio: 昼食。江口聡(2007)「ポルノグラフィに対する言語行為論アプローチ」、再訪。 →▼江口聡の貧弱な業績|京都女子大学 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/papers/
▽参考文献: 守 如子『女はポルノを読む :女性の性欲とフェミニズム青弓社。推奨できる。 →http://www.amazon.co.jp/dp/4787233106
▽参考文献: 堀あきこ『欲望のコード :マンガにみるセクシュアリティの男女差臨川書店。未見により評価不能。 →http://www.amazon.co.jp/dp/4653040184

→▼Togetter - まとめ「他人に危害をおよぼさない限りどんなポルノを見てもよいか?」〔2010/06/02〕 http://togetter.com/li/26028
 →▼Togetter - まとめ「ポルノグラフィと性差別について考える」 http://togetter.com/li/28958
 →▼Togetter - まとめ「ポルノを巡るえとせとら」〔2010/06/03〕 http://togetter.com/li/26417


 →▼児童ポルノ等禁止法改正案の早期審議・採択を求めるシンポジウム〔2010/05/30〕 - Togetter http://togetter.com/li/25333
 →▼シンポジウム報告(1)〔2010年06月01日〕|子どもを守れ!!!! http://blog.canpan.info/csec/archive/28
 →▼子どもポルノの単純所持と非実在の子どもを被写体とするポルノ〔2010年9月2日〕|森田明彦『自遊日記』 http://fwge1820.wordpress.com/2010/09/02/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%8D%98%E7%B4%94%E6%89%80%E6%8C%81%E3%81%A8%E9%9D%9E%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%82%92%E8%A2%AB%E5%86%99/
 →▼ポルノ・買春問題研究会 http://www.app-jp.org/
 →▼中里見 博 | 福島大学 行政政策学類 http://www.ads.fukushima-u.ac.jp/article/nakasatomi_hiroshi


 →▼「児童ポルノ禁止法改正を考える院内集会」@参議院議員会館(2011年8月25日)をめぐって 〔2011.8〕|ilyaの日記 http://d.hatena.ne.jp/ilya/20120313/1331607615
 →▼「実在児童の人権擁護基金」をめぐって。〔2010.12〕|ilyaの日記 http://d.hatena.ne.jp/ilya/20110110/1294673494

*1:https://web.archive.org/web/20100609002628/sociologbook.net/log/201006.html →▼「児童ポルノに限らず、ポルノグラフィが業界全体としては女性に対する(暴力とまでは言わんにしても)搾取で成り立ってるってことぐらい、みんな知ってるだろ、ほんとは。」 - Togetter https://togetter.com/li/26214