ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

福地桜痴『幕末政治家』岩波文庫〔2006.11〕

福地桜痴『幕末政治家』岩波文庫 ★
▽2003年11月14日第1刷、2005年9月15日第3刷。岩波書店刊。佐々木潤之介、校注。原著初版、明治31年(1898年)1月、民友社刊。底本は明治33年、民友社刊本。

▽好著。一読の価値あり。福地源一郎(桜痴)の幕末政治史論。政治家たらんとする者、あるいは苦境のリーダーたらざるをえぬ者は読め。
▽失敗に学ぶこと(『失敗の本質』)。実際のところ、成功談など、青雲の志を抱く青年ならいざしらず、凡夫の役には立たぬ。「何をしたら成功するか」は分からないが、「何をしたら失敗するか」は、はるかに容易に予想できる。時代と組織の桎梏の中で苦闘する、能力・人格に限りある政治家、官僚たち。巨大な政治家(英雄)が世界を動かしているわけではない。明治維新後忘れられた佐幕開国派の苦悩。歴史書というよりは、幕臣として同時代人であった著者の感慨が塗り込められた熱情の書。すなわち小説のように読める。語り手のフレームを意識化すること。本文註、充実。人名註あり。
▽外交(条約調印問題)と儲君議(将軍後嗣問題)。
▽福地源一郎。幕臣、ジャーナリスト、反民権派の巨頭、演劇改良運動の指導者。その目から見た幕末史。福地の歴史関係著作としては他に『幕府衰亡論』(明治25年)、『懐往事談』(明治27年)あり。
▽阿部伊勢守正弘。堀田備中守正睦まさよし)蘭癖の人。井伊掃部頭直弼。水戸中納言斉昭(水戸老公、烈公)。安藤対馬守信正。松平大蔵大輔慶永(春嶽、越前侯)。烈公のもと、藤田虎之介(東湖)、戸田忠太夫(忠敞)。春嶽殿のもと、橋本左内。幕末の三傑として、岩瀬肥後守忠震、水野筑後守忠徳、小栗上野介忠順。
▽冒頭: 徳川幕府の末路といえども、その執政諸有司中あえて人材なきにはあらざりき。当時の実況を知らざる論者が、一概に幕府を挙てことごとく衆愚の府と見做し、その行為みな国家を誤り日本に禍して、以てついに朝廷の譴責を蒙り滅亡したる者なりと論断するがごときは浅膚の見なるのみ。」(叙言)。

▽1898年(明治31年)、福地の情熱――「これを要す〔る〕に烈公〔水戸斉昭〕は政治家の識見ありて政治家の智略に乏しく、ためにその方法の宜を得ずして、一世を轗軻の間に送り、幕府のためには功罪相半ばする譏を受るに至れり。ああ烈公、烈公、烈公は明治維新の先駆たる大功臣なりと今日に称賛せらるること、余はその志にあらざるを信ずるなり。」(p.190)。「幕末の三傑が政治上における、およそかくのごとし。しこうしてこの三士ともに閣老にも挙られず、参政にだも登る事を得ずして、皆十分にその才を展ばさず、その能を顕さずして、あるいは憤死し、あるいは無辜の殺戮に斃れ、その身とその名とを併せて幕府に殉じたり。ああ天道是か非か。」(p.275、末文)
橋本左内への高評価。左内亡き後の松平春嶽(慶永)への厳しい評価――「春嶽殿は、藩主としては良主とも英主とも称賛するを得べきか、幕末の政治家としては、別に称賛すべきの価値あるを見ざるなり」(p.222ff)
▽政治における決断の価値。政治家評価のフレーム――「井伊掃部頭〔直弼〕は実に幕府末路の政治家なりき。幕府内外困難の際に当りて、大老の重任を負い、以て幕閣の上に立ち、おのれが信ずる所を行い、おのれが是とする所をなしたり。」「幕権を維持して異論を鎮圧し、その強硬政略を実施するにおいては、敢為断行してさらに仮借する所なきがごとき、決して尋常の政治家が企及し得べきにあらざるなり。」(p.86)、「もし井伊の果断を以て世議を容るるの雅量あらしめば、内政の整理もその功を奏せしなるべく、井伊をして岩瀬〔忠震〕諸人の説を聴きて外情に通じ、よく当時の人才を用うるを得せしめば、外交上また観るべきの跡ありしならんに、事全く乖戻して、幕府の独裁政権はその大老とともに滅するに至れること、悲しからずや。しかれども井伊大老もまた幕末の一大政治家なるかな。」(p.156)。

▽水野忠徳の為人を評して曰く、「その性質は急速を嫌いて漸進を喜び、秩序を重して軽挙を忌める人なれば、むしろ保守の気象に富めるがごとくなりき。されば、外交・内治に関し、岩瀬〔忠震〕・永井〔尚志〕等と往々意見の衝突せる所ありしといえども、閣議すでに定まりたれば、意を枉げてこれに従い、幕府の全権となりて英仏諸国条約に調印したりといえり」(p.267)、「水野が事を議し政を論ずるや、己が信ずる所は固く執りて動かず、あえて交譲するを肯ぜざりければ、外人にも悦ばれず、幕閣にも容れられずして、常に不遇の地位に立てり」(p.269)――頑固剛直。こういう馬鹿は好き。社禝にとっては損害だが。となれば、こういう馬鹿を使いこなせる上司はもっと好き。物価政策に明察あり。南鐐銀鋳造案あれど実施に至らず。小笠原諸島の帰属についても構想。
▽財源問題。小栗上野介忠順の力量――「幕府の末路多事の日に当りていかにしてその費用の財源を得たりしかは、ただに今日より顧て不可思議の想をなすのみにあらず、当時においてもまた幕吏自らが怪訝したる所なりき。しこうしてその経営を勉めあえて乏を告ぐることなからしめたるは、実に小栗〔忠順〕一人の力なりけり」(p.272)。財政という技術。そもそも幕末史において「財源の如何」という問いに気づけぬ私の想像力、その史的想像力の狭小。

▽幕末史は、テロが歴史を動かすことを証したか。デマがテロを生む。尊攘派という悲劇、あるいは喜劇。水戸斉昭評に示される、本人の意図と結果(後生の評価)のねじれ(その哀切)。だが、多かれ少なかれ、初発の意図は裏切られる。弱者(決定権力を持たぬ者)の政治とは、連合の政治であり、誰と手を結ぶかの問題ではないか。
▽人名の正書法。呼称の構成要素として、姓名、官位、官職、諡がある。どういう表記法が正しいか。また、誤った記法や如何。