ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

作業ノート3

▽作業ノート。宮脇昭。潜在自然植生。ポット苗密集植栽。


▼良い植生、悪い植生〔2007年12月12日〕|身辺メモ http://fieldsmith.net/bslog/archives/2007/12/post_528.html
▼山里の暮らしに関する一考察: そんなに弱くは無い〔2012/03/17〕 http://furukawa-ringyo-shichikashuku.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_4ed2.html
▼山里の暮らしに関する一考察: そんなに弱くはない つづき〔2012/03/18〕 http://furukawa-ringyo-shichikashuku.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_7916.html
▼鎮守の森より里山のほうが皆の役に立つと思いますけどね...〔2005年12月25日〕楽農倶楽部(別館) http://blog.goo.ne.jp/rakuno_club/e/b4555d3d27957875703cf07dd5ea21be
▼宮脇流森林再生のいかがわしさ - worldNote http://blog.goo.ne.jp/worldnote/e/4e321f6f81719f5b9e5554695f4dea57


▼第6回さいたま・まちプラン市民会議2007 http://www.city.saitama.jp/www/contents/1191479417845/index.html
▼PDF:(3)ワークショップの記録/第6回さいたま・まちプラン市民会議2007(73KB)(PDF文書) http://www.city.saitama.jp/www/contents/1191479417845/files/6th_matome.pdf
「(3)第6回「さいたま・まちプラン市民会議2007」「みどりのまちづくり」ワークショップの記録」
「(D班の発表〜市民による公的緑地の管理)」「<副座長>市民が管理するための技術の話とか、技術習得の話は出てますか。/ <D班>それもかなり、専門的な宮脇理論に関する批判論が続出いたしまして、管理のあり方としては、質の問題と方法論と二つでました。質の話はさきほどの合意形成の話、方法論としては、「手」ですね、お年寄りが多いということでね。それに対してどう対応していくか。世代交代の話、機械をどうするのか、リースにするのか、とそういう話が出ました。」


▼実家旅〔2010/9/1〕 | 神流アトリエ日記(3) http://sun.ap.teacup.com/tamarin/485.html


▼木家社会: 広葉樹の植樹〔2009年11月19日〕 http://blogs.dion.ne.jp/bwe/archives/8954182.html
▼木家社会: 宮脇方式の植樹〔2009年07月13日〕
 http://blogs.dion.ne.jp/bwe/archives/8563162.html
▽評価保留。


▼宮脇昭氏の「森の防波堤」論をめぐる暫定的考え - macroscope http://d.hatena.ne.jp/masudako/20121116/1353079038


▼震災がれき問題に対し、一体何が答えられ、何が答えられていないか - 斜め上から目線 http://d.hatena.ne.jp/amamako/20120331/1333177009


赤霧島4本〔2008-12-28〕|ウッシーの四季折々通信−農業マン物語 http://ameblo.jp/ptpl-ussi/entry-10184430491.html
「そんなやかましい状況の中でも井草さんと討論会をスタート。議題は植物生態学者の宮脇昭博士の理論について。私は宮脇理論が潜在自然植生理論に基づいた照葉樹中心の混植・密植を提唱していることに異議を唱える。つまり宮脇理論では人が手を入れながら保全してきた落葉広葉樹中心の里山と呼ばれる自然については全くといってよいほど触れておらず、手間がかかる二次林は本物の自然とは言えないと論ずることに腹立ちをも覚える。ちなみにウィキペディアでも宮脇理論は『人間との関わりの中で成立し、独特の生態系を有する二次林の自然史的・文化的意義を不当に貶(おとし)めるものとの批判もみられる』という記述があった。やっぱりそうか。/ 宮脇博士の弟子である東京農工大学亀山章教授は群馬県谷川連峰の南斜面の1万ヘクタールの国有林において、多様な生態系を保全しようという「赤谷の森プロジェクトを展開している。このプロジェクトそのものは宮脇理論と対になる理論を基にしている。この間東京農工大学で開催された宮脇博士の講演では亀山先生もいたのだが、亀山先生は宮脇博士の前では平身低頭、愛想を振りまいてばかり。これがアカデミックなヒエラルヒーなのかと思い知らされた。学者の集まりって、大したもんじゃないな。」
▽――Wikipedia「宮脇昭」の項目の履歴を参照すると、「2009年1月10日 (土) 11:16」の版まで、「人物」の項の末尾に「しかしながら、この主張に対しては、本来の植生を重視するあまり、人間との関わりの中で成立し、独特の生態系を有する二次林の自然史的・文化的意義を不当に貶めるものとの批判もみられる。」との記述があった。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%98%AD&oldid=23806299
▽この記述は、「2009年3月15日 (日) 16:19」の版(211.10.170.86 による修正)で削除され、代わりに「活動」の項の末尾に、「2000年後半ごろから、潜在自然植生論に一定の成果が見られるようになると、自然林と二次林の違い、長所、共存といった総合的な研究が求められるようになった。」との一文が追加された。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%98%AD&oldid=24873651
生物多様性復元 赤谷プロジェクトホームページ http://www.nacsj.or.jp/akaya/
▼関東森林管理局|広報誌等について(赤谷の森) http://www.rinya.maff.go.jp/kanto/policy/business/akaya_project/06article/moritayori/index.html


▼宮脇昭氏(本物の森)〔2005-04-30〕:Nの生活 http://numa0806.blog.so-net.ne.jp/2005-04-30
▽コメント欄。「検索して宮脇氏の記述を見つけて勝手にコメントしてしまいました。すいません。/ 森について知るのはなかなか難しいですが、生態学という分野の本から調べていけばかなり深く森について科学的に書いてあるのでおススメです。/ ■「これならできる山づくり」著 鋸谷 茂・大内 正伸 (農文協)は日本の人工林問題についてわかりやすく丁寧に記述してます。ほんの分野は生態学ではありませんが。/ http://8532.teacup.com/miraiju/bbs こちらの掲示板はその本の著者の方が開いています。人工林問題をどうするかについて熱く語られているのでおススメです。/ ■里山生態学 編 広木詔三 (名古屋大学出版会)/ これは里山と言われる人間に利用されてきた森林について記述されている本です。難易度は高いですが、おススメです。この本では宮脇氏が批判される記述も数行程度あります。/ 森についてはとにかく勉強しては現場に出て、様々な立場・考え方の人に解説を受けるといい勉強になります。ただし本当に森林を理解するには相当な時間と勉強が必要です。/ ですが森林を理解するほどおもしろい世界が見えてきますから、是非お試しあれです。/ ちなみに私は静岡の大学に通う20歳の学生で、字はにゃん太郎と申します。/ by 匿名 (2006-05-19 15:16)」


▼5・26里山2nd企画(3)侘助での楽しい打ち上げ〔2012-06-01〕 : 北鎌倉湧水ネットワーク http://kitakamayu.exblog.jp/18043319/
「「宮脇理論」に関しては賛否両論がある。わたしは田舎育ちの経験、里山の歴史と手入れ体験などを踏まえ、「宮脇理論」に強い疑問を抱いている。「宮脇理論」を実践すると里山は消滅してしまうと考えるからだ。「緑は宗教」とわたしの考えを述べたら「緑はイデオロギー」と赤坂〔信〕教授は答えてくれた。鎌倉の里山の手入れに関してはさまざまな考え方があるので、難しい面もあるが、学習と実践を積み重ねながら、美しい里山の復活と継承に向けて努力を続けたい。」


▼人工林の再生に特効薬はあるのだろうか?:木霊 (TARUSU) 森林施業研究会ニュ−ズ・レター No.36/2007.03.06.NewsLetter 2007 March|森林施業研究会 http://segyo.ac.affrc.go.jp/news/news0703/news0703.html
▽第12回森林施業研究会シンポジウム(日本森林学会大会関連集会)特集。
「人工林の再生に特効薬はあるのだろうか?/大住克博(研究会事務局)」 「新しい考え・手法をカリスマ的に受けいれるという同様な傾向は、潜在植生〔潜在自然植生〕を至上とする植樹運動にも感じます。もちろん、以前は木材生産のためのスギやヒノキ、あるいは公害に強いことを取り柄とする外国産の樹種の植栽がもっぱらであった国内の緑化方式を、生態学的情報に基づいたものに変えるべきだと宮脇昭氏が提唱されたことには、実に大きな意義があったと思います。/ しかし、この運動が社会に広がる中で、少し硬直化してはいないでしょうか。生態緑化においては鎮守の森、特に関東以西ではその照葉樹林をお手本とし、シラカシやタブなどの常緑広葉樹の植栽を柱に据えます。しかし最近の研究では、その鎮守の森の多くは、実は明治以降に植樹され整備されたものであったことが明らかにされつつあります。他方、私たちになじみが深かったもう一つの郷土の自然・里山の落葉樹林などの二次的生態系の価値は、生態緑化の流れの中で軽視されてきたのではないでしょうか。歴史的にも面積的にも、日本の風土は里山林のような二次的な森林と強いつながりを持ってきたはずです。再生する森林の目標を潜在植生に置くのは、常に正しいとは限らないでしょう。さらに生態緑化では、数種の常緑樹種が植栽に重用される中で、地域ごとの植物相の特徴や、植栽による遺伝子撹乱の問題なども無視されがちであったと思います。/ 時間をかけて観察し、考え、議論しよう/  森林は場所により歴史により多様です。また、関わる人々の森林に対する思いも様々なはずです。したがって、一つの手法をカリスマとして無条件に受け入れてしまえば、あるいはそれを万能薬であると拡大解釈してしまえば、昔、木材生産力の増強のみに走った時代と同様な間違いを、再び繰り返しかねません。それらの手法を一つの教科書として参照しながらも、それぞれの場所、状況に応じて、解釈し直してあてはめていくべきだと思います。/ 樹木は長い寿命を持ち、森林は長い歴史の結果として形成されていきます。今、私たちが一つの型で森林管理を行えば、それはその後、半世紀、いや一世紀以上の間、大きな影響を残すでしょう。ですから、実行の前にまず森林をよく観察し、あわてずに十分考え、議論していただきたいのです。私たち「既存の」林業技術者も、そこに加わりたいと思っています。」
「内容の多くは昨年の強度間伐特集と重なりますが、今回の記事で私が注意を喚起したいと思っていることは、強度間伐や広葉樹林化そのものではなく、林業界(特に政策担当者・技術者)の外で、燎原の火のように上記のような新たな手法が広まりつつあるということです。インターネットで検索すれば、あまたの記事が出てきます。いわく「**技術を知って目からウロコだった」「**さんの話を聞いて、元気をもらった」・・・。/ もちろん、上記のような新手法のカリスマ性や技術的な不完全さを指摘することは容易であり、それも必要なことだと思います。しかし、私たち技術者・研究者がもう一つ考えなければいけないと思うのは、このようなカリスマの出現を招いているのは、実は私たちの不十分さではなかったかということです。市民の持つ森林・森林環境再生に対する切実な思いを、きちんと受け止め理解していたか? 林業・森林管理者として、真にビジョンを持ちそれを鍛え、自分の言葉としてきたか? 現在持っているビジョンや技術を、社会に伝えようとしてきたか? いくつかの試みはあるとは思いますが、状況を見れば、やはり人々の心に十分には響いていないのだと思います。私自身も全く何もしてこなかったなぁと感じます。/ では、私たちも資料や情報をかき集めて「カリスマ」に対抗できるようなストーリーを提供すれば良いのかというと、そこにも大きな問題があると思います。強度間伐や針葉樹人工林の広葉樹林化は重要な選択肢ではあるものの、判断に供する情報もデータも不十分で、技術的に未完成であることはこれまでたびたび論じてきたとおりです。それを振り回せば、私たちも結局五十歩百歩ということであり、結果として「プロである」林業者・森林管理者への不信を増すだけに終るでしょう。/ 私は、プロの技術というものが備えるべき条件の一つに、それが解決できる能力(効能書き)とともに、その技術の信頼性、限界(注意書き)もきちんと示されていること、があると思います。ことに林業技術は結果が出るまでに時間がかかり検証が難しいので、このプロ意識を強く持たないと、技術者もただの素人集団になりかねません。/ カリスマ性の高い新手法の流布に対して私たちがすべきことは、まず、自然条件(+社会条件)に多くを依存する林業・森林管理技術のできること、できないことを誠実に示し、社会に伝えていくことだと考えます。(了)」


▼原植生:Taglibro de H http://ito-hi.blog.so-net.ne.jp/2007-02-15
「手もとの資料を整理していたら、前田〔禎三〕(1985〔「シラカシ林が関東平野の原植生かをめぐって」〕)が出てきた。関東平野の原植生はシラカシ林であるという説に疑義を呈したものである。改めて読んでみると、非常に興味深かった。以下、その要約。」
関東平野の原植生として宮脇〔昭〕ら(宮脇・大場 1966, 横山ほか 1967)がシラカシ林を挙げて以来、多くの人が引用し、そういう立場からの報告も多いが、それを裏付ける根拠は弱い。/ 1. 自然状態の保たれている地域(神奈川県高麗山、房総半島・伊豆半島)でシラカシが出現しない。/ 2. シラカシの出現の仕方は不自然である。辻〔誠治〕(1984)は「少なくとも段丘崖や丘陵脚部に、シラカシ林が広く存在していたことは事実であろう」としているが、そのような出現の仕方をするところは、シラカシの植栽木のある人里近いところである。辻のいうような場所のシラカシ林は、植栽ではないにしても、それをもとにして二次的に成立した林ではないか。/ 3. 関東平野にはシラカシが他のカシ類に比べて桁違いに広く植栽されており、それを母樹とした後継樹も多く、時がたてば自然状態になってくるものがでてきても当然である。/ 4. シラカシはかつて用途が広く、利用価値が高かった。育林の面からも優れた性質を持っており、そのため広く植栽されるようになったのであろう。いつごろから植栽されだしたかはさらに検討が必要だが、筑波研究都市内にある體見神社では、宝暦4年(1754年)の本殿改築の際、カシ(おそらくはシラカシ)の寄進があったことが記録されている(谷本〔丈夫〕 1982)。」
「その後の議論については把握していないが、この論文だけ読むとかなりもっともな気がする。谷本〔丈夫〕(1982〔「體見神社周辺の植生」〕)も手もとにあったので読み返してみたが、森があったから鎮守の森として残されたのではなく、むしろ宮飾林として積極的に植栽・保護育成が行われていたとの推定など興味深い。/ 京都周辺の社寺林についても、人為的な影響が強いというのは最近小椋純一さんが報告しているところであり、社寺林は必ずしも原植生の遺存物ではないとは確実に言えるだろう。」
小椋純一『森と草原の歴史』〔2012-04-03〕|Taglibro de H http://ito-hi.blog.so-net.ne.jp/2012-04-03
▼書籍情報: 森と草原の歴史 −日本の植生景観はどのように移り変わってきたのか|古今書院 http://kokon.co.jp/h8111.htm


▼サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題: 神道(しんとう、民俗神道神社神道教派神道)、鎮守社(仏寺・神宮寺の鎮守、神仏分離で廃絶あるいは独立!)、鎮守の森(神木、植生遷移の極相!)、とは http://kanazawa.typepad.jp/weblog/2012/08/kagakufudoki275.html
「鎮守の森について、昔から日本の人々は新しい集落に必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺ををつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきました。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になりました。(宮脇昭、国際生態学センター研究所長、「都市の植生のゆくえ」、朝日新聞天声人語、1993年(平成5年)4月30日、朝刊より)/ また、神社の本殿などを取り囲み「うっそうとした」「手つかずの」 と形容される鎮守の森の多くが、明治時代初期頃までは、常緑広葉樹ではなくマツやスギなど針葉樹中心だったことが明らかにされました。(小椋純一京都精華大教授(植生史)の調査、著書「森と草原の歴史」(古今書院)、朝日新聞、2012年(平成24年)4月19日、朝刊より)/ 当時は、日常的に低木は伐採されたり、燃料に使う落ち葉がかき集められたりしていました。が、明治政府が境内の森林利用を厳しく制限すると、低木が生い茂り、徐々にシイやカシなどの広葉樹に置き換わったと見られています。小椋教授は「高度成長期に多くの自然が失われるなか「昔から手つかずだった」という誤解を生んだのではないか」と説明しています。/ 社寺の境内の森は、その性格上、伐採されず自然な状態で大事にされ、平地や低山地にあっては、比較的人手の加えられていない森です。この社寺林の樹種を調べることで、ある程度その土地の植生遷移の最終段階である極相林の構成樹種及び、その土地の気候(特に気温と降水量)を知ることができます。」
▽論旨の流れに混濁があるように思われる。


▼鎮守の森〔2009年4月5日〕 | 掲示板 http://6405.teacup.com/nimaida/bbs/2
▽「鎮守の森 投稿者:綱本逸雄 投稿日:2009年 4月 5日(日)14時27分59秒」
「「鎮守の森」/ 1.はじめに/ 昨今の開発で日本の植生が大きく変貌しているなか,世界遺産に登録された「春日山原始林」(奈良)のように,あらためて社寺林に多くの関心が集まっている。植物生態学などの分野では,社寺林の研究は菅沼(1978)らが早くから行ってきたが,これに関して,従来の諸著書、論文は社寺林と鎮守の森を同義語として扱っているのが多くみられる。例えば、この森の解説の中で「各地にみられる神社や寺の境内の森は、古くから信仰の対象となってきたため,『鎮守の森』と呼ばれ,各地域に残っている」(手塚ほか,1992)とか,他に「原始の森の面影を伝える鎮守の森,かつて日本人の心の中にあった鎮守の森」などの叙述をよく拝見する。社寺林やその文化などを論述しようとするとこのような表現になろう。しかし,あえて表現にこだわっていえば,留意しなければならないのは,「鎮守の森」という言葉自体は古くはないということである。」
「今日「鎮守の森」といえば、「こんもりと繁った社寺の森」を誰もがイメージし,学術論文でも、森厳な社叢を形成する照葉樹を代表的な樹種としてよく紹介している。しかし,このように理解される「鎮守の森」の言葉と大半の原風景は近代以前にさかのほ〔ぼ〕れないのではないだろうか。たしかに社寺林が里山と違って相対的に自然性の高い樹林であるのは,古くから信仰の森として大切にされてきたからである。が,近世の地誌類や古絵図をみるかぎり社殿近傍をのぞいて,境内地はたいがいアカマツ林で植生が貧相である(吉田,1993;小椋,1992;松下,1997など)。境内林の薪材用の枯損木,落葉,柴草などは神社経営にとって欠かせない収入源だったからだ。/ 遷移が進んで,今日どこでもみられるような「こんもり繁った鎮守の森」が形成されるのは案外新しいだろう。吉良(1976)は,滋賀県内の社寺林を調査した。シダ類や着生ラン類なと林内の植物の現状から,社寺林保護の歴史の古さ,伐採による過去の破壊の程度や時期をかなりよく推定できるという。社寺林の大部分は,照葉樹林のシダ類の中でももっとも乾燥に強い普通種ベニシダだけが,いたるところにはびこっていた。一県内の例ではあるが,この結果から,樹木の大きさも含めて「神社林の意識的な保護が始まったのは,明治年間ではなかっただろうか」と指摘している。」
「「鎮守の森」を歴史的に概括してみた。結局言えるのは,少なくとも「鎮守の森」という合成語が平安時代以前に存在しないことは明らかだ。したがって,古代信仰の森(神奈備の森)については,この言葉は妥当性を欠く。例えば,「神体山」が明治時代の造語(山田,1993)であるのに,古代の神奈備山をそう呼ぶのと同じことだからである。なお,本稿作成にあたって,松下まり子氏(神戸大)他のご指導・ご教示をいただいた。」
「吉田博宣.1993.第1部京の森.下鴨神社糺の森(四手井綱英編),34ー46.ナカニシヤ出版,京都.」「小椋純一.1992・絵図から読み解く人と景観の歴史.238pp.雄山閣,東京.」「松下まり子.1997.江戸時代以降の神戸市太山寺境内林の来歴.植生史研究5:77−83.」「吉良竜夫.1976.自然保護の思想.253pp.人文書院,京都. 松永美吉、1994.民俗地名語彙事典(下).日本民俗文化資料集成第14巻・民俗と地名II(谷川健一責任編集),385-388.三一書房,東京.」


▼[PDF]畔上直樹「明治期「村の鎮守」の植生と地域社会 :東京都多摩市域の地域史料をてがかりに」(「明治聖徳記念学会紀要」〔復刊第46号〕平成21年11月) http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f46-9.pdf
「この点で、「鎮守の森」の古植生の復元作業をすすめてきたのは、〔植物社会学の宮脇昭らの研究でも「社叢学」の研究でもなく、〕農学の小椋純一が主導してきた「植生景観史」の諸研究である。これまた多様な専門分野の研究者が担っているが、ここのところ、前近代の絵図や名所図会、近代の地形図や古写真、航空写真といった画像系資料を活用して古植生を復元、それを現在と比較するという作業を軸に、近世・近現代を中心にその成果が相次いで発表されており、関西や関東の「鎮守の森」の姿には大きな歴史的変化が比較的最近に生じていたことが指摘されている。/ より具体的にいえば、現在多く見られる照葉樹林の「鎮守の森」のなかには、最近までマツやスギの「鎮守の森」であったものが多く、それらは植林を含め、植生遷移への恒常的な人為的干渉を必要とする性格の森林であり、その管理状態の変化により植生遷移が進行することで「照葉樹林化」していく歴史過程をともなっていた可能性が指摘されている。つまり、「里山」同様の「植生遷移介入積極型」をむしろ最近まで基本的性格とする「里山聖地」として「鎮守の森」を描き出しつつあるといえる。/ 植生景観史からの「鎮守の森」論は、以上にみたように〔上田政昭、上田篤らの〕社叢学とは対極のイメージをたたきだしているわけだが、それが歴史具体的な検討作業を通して主張されている点が、ここでは重要である。本稿は植生景観史の立場からあきらかになった諸点について、以下に述べるような、歴史学(文献史学)の立場から検証する。」


▼宮脇昭氏のこと〔2011/06/22〕: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/06/post-f45c.html
▽コメント欄 「疑問なのは、氏の指導で緑化したという箇所を見に行ったことがあるのですが、明らかに園芸品種が混じっていたことです。苗木の入手先も限定(独占?)されているような話も聞きました。/直接、植栽の取組に関わったわけではないので、いろいろと事情があるのかもしれませんが…。」
▼「照葉樹が潜在植生」という嘘〔2011/12/03〕: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/12/post-d0e4.html
▼宮脇昭理論の批判を試みる〔2011/11/10〕: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/11/post-d5d1.html


▼「宮脇理論の矛盾」について/鹿糠耕治(2004/6/19)|青森の自然環境を考える会 http://thinkaomori.sakura.ne.jp/040518symposium/kensho01.html
▽非常に丁寧な批判。


▼仕事だけじゃない日誌〔2012-11-19〕 http://d.hatena.ne.jp/mahoro_s/20121119/1353325467
▼宮脇緑化に対するmahoro_sさんの文章が分かりやすいので紹介します〔2012-12-04〕 - 日々粗忽 succession http://d.hatena.ne.jp/sawagani550/20121204/p2


▽メモ:
▼「いのちを守る森の防潮堤/森の長城プロジェクト」と宮脇昭氏の「潜在自然植生」関連まとめ一覧 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/426192
▼「いのちを守る森の防潮堤」動画リンク - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2135322111035855501
▼宮脇昭(2005年) - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2135321977235666101


▼作業ノート2 - ilyaの日記 http://d.hatena.ne.jp/ilya/20121117/1353132324
▼作業ノート4 - ilyaの日記 http://d.hatena.ne.jp/ilya/20121117/1353136102