ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

演劇「コシ」(迷宮)@新宿SPACE107〔2006.9.22-24〕

▼「コシ COSI」。2006年9月23日、午後6時半の部。会場:新宿SPACE107。上演期間:2006年9月22日〜24日。プロデュース:舞台企画『迷宮』。日豪交流年公式事業「Dramatic Australia」参加作品。
▽スタッフ: 作: ルイス・ナウラLouis Nowra。翻訳: 佐和田敬司。演出: 鈴木大介。ビジュアルディレクター: 池亀誠一郎。舞台美術: 向井登子。音楽監督: 高橋慶吉。音響: 野中和仁。
▽キャスト: ルイス(主人公)前田直輝。ニック(ルイスの友人): 海老沢信一。ルーシー(ルイスの恋人): 高田紀子。ジャスティソーシャルワーカー藤井千夏。ロイ(患者のリーダー): 倉田秀人。ダグ(放火癖): 遙川大樹。チェリー: 原田裕子。ルース=林智恵。ジュリー麻薬中毒麻乃佳世。ヘンリー(寡黙): 竹内正男。ザク(ピアノ奏者): 宮野隆矢。

▽1960年代末、オーストラリア。海の向こうではベトナム戦争が戦われている。豪州でも反戦運動が盛り上がる。そんななか、精神病院の依頼で患者の舞台上演を手助けすることになった青年ルイス。上演作品は患者の発案により、モーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)」に決定。だが患者にはイタリア語の分かる者も、オペラを歌える者もいない。

▽1960年代(1970年?)。ベトナム戦争反戦運動学生運動共産主義。自由恋愛(精神と身体)。精神病。治療としての演劇。ソーシャルワーカーの社会的地位。精神分析(カウンセリング)批判(ex.ダグ)。照明、客席と舞台の反転。「コシ・ファン・トゥッテ」というテキストの〈読み〉の輻輳フェミニズム
▽ロイ、ヘンリー、存在感あり。精神病者を演じる困難はどこにあるか。ex.映画『12モンキーズ』におけるブラッド・ピットの演技の安易さ、泰淳『富士』。早口の台詞が多く、時に聞き取りにくい部分あり。「分からなくてもいい」という演出なのか、それともたんに滑舌の問題か。
▽H氏のご招待にて。会場の新宿SPACE107は新宿駅西口、新宿郵便局の隣り。舞台は地下。

▼「迷宮」公式サイト
http://meikyu.net/
▼日豪交流年公式イベント ドラマチックオーストラリア
http://dramaticaustralia.crane-design.com/
http://dramaticaustralia.crane-design.com/text-j.html#cosi
▼新宿 SPACE107
http://www.space107.info/


▽考える人、決断を延引する人としてのルイス。“若者”の表象。モラトリアム。主人公ルイスとニックの葛藤(演劇をめぐる、女性をめぐる、政治をめぐる)。反共主義者ヘンリーと“父(元オーストラリア軍兵士)への敬意”。ナショナリズム学生運動の時代。
▽病者における「演技」の意味(ルースの語る歩数への執着、ジュリーの解放感)。それを演じる俳優。そもそも俳優とは狂気そのものではないのか。演技とは何か。演技/非演技の境界。政治青年たちの無惨。A・アルトーの狂気。カウンセリング批判の深度、たとえば三原順『X Day』におけるそれとの対比。病者にとっての視点変容、感情移入の能力(ex.ルース)。一歩離れた場所を回り続けるザク。ザクとルース。
▽戯曲「コシ・ファン・トゥッテ」が登場人物たちの複数の視点から読まれる(加えて観客の視点からも?)。それが演出家であるルイスに流れ込み、統合され、劇中劇を成立させる。……はずなのだが、ルイスの中でいかに複数の視座が統合され編成されたのかが今ひとつ見えぬ。あるいは、それが“自由”な俳優を抱えた演劇の姿ということか。


▽舞台が「オーストラリア」であることの意義と表現の射程。
▽演出家が、特定の時代のオーストラリアを描くことに意義を見出すのなら、必要なのは“60年代オーストラリア風”の服装や小道具類の再現ではなく、ベトナムアメリカ、またヨーロッパへの〈距離感〉を観客に伝えることだったのではないか。オーストラリア「から」見える風景を観客に示すこと。遠近法。登場人物たちの遠近法はわれわれ観客(現代日本人)の遠近法と、いかに異なり、いかに近しいのか? たとえば映画『ホワイト・バッジ』(チョン・ジヨン監督作品)は、韓国「から」見えたベトナム戦争を描いてわれわれに認識の変容を迫る。“演技”なるものの基本のひとつもまた同じだろう。それは演者が登場人物の視界(遠近法)に同一化することによって得られる。そして、それを観客にいかに〈感染〉させるか。


学生運動の幹部であるニックよりも、立ち止まる人ルイスを「正しく」見せる、脚本のイデオロギー性。再現と誇張。誇張の劇的意味。ニックやルーシーをそうあらしめたのは何だったのか。時代。


▼Louis Nowra : Wikipedia 〔英語版〕
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Nowra
Wikipediaによれば、原著者ルイス・ナウラLouis Nowra はオーストラリアの"most acclaimed and prolific writers. Playwright, screenwriter and librettist"。本作「コシCosì」は1992年の初演。1996年、映画化。1950年生まれ、1970年当時20歳。半自伝的な作品ともいう。また本作はオーストラリアでは教科書に載るほどにポピュラーな作品らしい。

オセアニア出版社
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/oceania/
▽オーストラリア・ニュージーランド関連書籍の専門書肆。1983年創業。佐和田敬司訳「オーストラリア演劇叢書」あり。