ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

作業ノート1

▽ノート。卒業論文成年コミックマークの爪痕 :マルチスクリーン・バロック』を読んで。
▼卒論UPしてました。『成年コミックマークの爪痕――マルチスクリーン・バロック』〔2011-01-28〕 - たゅんとするアレ http://d.hatena.ne.jp/talyun/20110128/1296183230
▼TwitDoc.com - the EASY way to share your documents on Twitter http://twitdoc.com/view.asp?sid=TU&ext=PDF&lcl=-.pdf&usr=talyun_&doc=47241885&key=key-27l8t407qd8nuf10rssi


▼瞥見。 むむー。全体の発想、構図設定は当たってる印象なれど(というか成年コミックマークが何をどう変えたか、具体的に調べようって着眼だけで高得点)、表現規制関連の記述とか、全体に対象への距離がおけてない感触かな…。もったいない。
成年コミックマークの成立による「言説」(←禁止用語w)編成の変容を意識化(対象化)してみせてるわけだから、「有害図書」とか「表現規制」とかも同様に検討しうる対象だと気づけるはずなのになあ。もったいない。 (こういう学生に『概念分析の社会学』(ナカニシヤ出版)とか読ませれば刺激になるだろうに。)
▽うーん…。 「表現規制=悪」って前提を一回外しちゃえば、宙吊りにしちゃえばよかったんだな多分。あるいは、すべての表現は「(有形無形の)規制」の下にある、って言っちゃえば。 そうすれば、もっと骨が通ったろうに。あと一歩で前提を外せるのにって感じがもったいない。


▼著者と。
▽@talyun_ 初めまして。卒論、少し拝見しました。すごく魅力的な着眼だと感じました(まだ精読してないです、ごめんなさい)。 「ループ効果」の件、私もまさにそう思いました! QT @talyun_: 「ループ効果」って私が真っ先に参照しなければならなかったものじゃないか。 / Mon Feb 14 09:08:23 2011


▼リプライ。
QT @talyun_: 読んでくださってありがとうございました。私も貴方の一連の感想ツイートを拝読し、大変勉強になりました。特に『概念分析の社会学』は、このようなテーマを論じる手本となる書籍であるらしく、未読であることを後悔するとともに、それを読んで勉強を続ける必要があると感じました。/ 8:20 PM Feb 14th 2011
QT @talyun_: 現在のマンガ表現論的アプローチは、なぜその表現が選び取られたのかを説明しないために標本学に止まっているという指摘があります。その批判に応えようとしたのがこの卒論でした。
QT @talyun_: なので、どちらかといえばマンガ論に主眼を置いてしまうことになりました。その分、規制論について恣意的となり、不十分なものとなってしまったというのはもっともだと思います。


▼文献紹介。
▽@talyun_ ぎゃ! tweet読まれたんですかっ!? し、失礼なこと書いてませんでしたか…。 なんと言ったらよいか、素人が外野から言いっぱなしで無い物ねだりしていてごめんなさい…。 (今、電車で卒論拝読しています!)
▼恐縮です…。 『概念分析の社会学』(ナカニシヤ出版、2009)は様々な意味でよい本なのでお勧めできます。 表現規制問題に関心あれば、同書収録の「『被害』の経験と『自由』の概念のレリヴァンス」(小宮友根)はぜひ。“規制の是非”という問題構図に乗ってしまうことでこぼれ落ちてしまう何かを、繊細かつダイナミックに捕まえています。
▽あ。うれしい。小宮論文はいわゆる規制賛成派も反対派もまとめてポイ! なところがある論文ですが、私はとても好きなのです。 QT @talyun_: それを聞くと今まで以上に読みたくなってきました。必ず手に入れます!
▽他の収録論文も資料を扱う繊細な手つきが印象的で、「触法精神障害者の『責任』と『裁判を受ける権利』」(喜多加実代)あたりも鮮烈。都条例や児童ポルノ禁止法改正をめぐって賛成反対両陣営がともにくりだす「代弁」の実態と欲望を考える上でも刺激的。おすすめです。


▽その批判にある程度応えられている、少なくとも応えるための第一歩になりえている、と感じました! 正しい方向性だと思います。 QT @talyun_: 現在のマンガ表現論的アプローチは、なぜその表現が選び取られたのかを説明しないために標本学に止まっているという指摘があります。その批判に応えようとしたのがこの卒論でした。
▼参考文献というわけでもないですが、小田切 博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』(NTT出版、2007)は読まれています? アメコミを扱う本ですし、直接にたゅんさんの主題に関係するものではないですが、環境と表現の相互作用を考える上で、刺激になる先行研究かと。 QT @talyun_: 勉強不足でお恥ずかしいのですが、こちらも未読でした。確かに私のテーマと間接的に関わってきそうですね。ご教示いただきありがとうございます。読みます。
▽や、もったいないです。 小田切本を「『アメコミ』を『エロマンガ』に置き換えてこの本を書くとしたら、どうなるか?」という問題意識で読むと、たゅんさんにとって方法論的な刺激になるんじゃないかと思うので。 みんな知ってるつもりで実は知らないもの、としてエロ漫画を考えるために。
▽「まず最初にはっきりいっておきたいのは、私たちはアメリカンコミックスというメディア、文化について知っているような振りをするのはいい加減やめるべきだ、ということである。」(小田切博、2007)
▽「まず最初にはっきりいっておきたいのは、私たちはエロマンガというメディア、文化について知っているような振りをするのはいい加減やめるべきだ、ということである。」


▼可能性。
▽素人として、この問題意識(論文の意図)は明示がほしかったところ。冒頭に掲げるのは大上段に過ぎるなら、終章に種明かしとしてさりげなく。そう言われれば外野の私にも納得ですし。 QT @talyun_: 現在のマンガ表現論的アプローチは、なぜその表現が選び取られたのかを説明しないために標本学に止まっている という指摘があります。その批判に応えようとしたのがこの卒論でした。 / Thu Feb 17 16:05:55 2011

▼個人的に、「エロマンガ」を何か確固として、昔からそこに存在する客観物であるかのように語る語りに違和感を持っていて。たゅんさんの卒論はその立場を越えようとしているのに共感しました。
エロマンガはそれとして実在するのではなく、成年マークや私たちの語りその他によって、作りだされている、筈なのです。
▽(手にしている概念、通じてしまう言葉に疑いの眼を向けること。言葉の網にからめとられないこと。自然的態度を一旦停止すること。私たちの認識を問い直すことである。)


▽“エロマンガ”を「分かっているもの」、固定化した対象として捉えないこと。
▽例えば。 都条例改正問題とかでも、「コンビニ売り/書店売り」エロマンガ、とかみんな平気で言っちゃいます(ゾーニングの話をしてるのに!)。 現実には、書店かコンビニかではなく、成年コミックマークの有無こそが流通段階からの決定的な(ゾーニングの)線引きとして存在しているわけです。
▽流通レベルで区別されて扱われるってことは、成年コミックマークの市場と非成年指定の市場が明確に分化したということで、これが成年マークの内/外に、市場規模の相違と需要の変化とを引き起こした。卒論に言う「抜き」への特化と、その裏返しとしての「萌え」の成立(p.12,16)。
▽「流通」への着目はおそらくとても大切で、それ(市場の質・規模の変容)を具体的に実証できれば、成年マークと表現の変化の関係に、説得力が増したかと。 卒論では、「論理的にそうなっていたはず」と著者の想像を述べているだけで、それが事実か否かは例証されてないので。


▽あ、「実証の不足」というのは各所で目について、残念に感じました。 正確には、それが未実証であることを意識した文体で記されていない、のが不安というべきでしょうか。あるいは、論拠のある議論と、論拠がない議論の区別が付かない。(もちろんここで言う「論拠」は、先行研究によれば、でもOKです。)
▽関連するかな。 pp.13-14 で2種類のエロ漫画を例示する部分。「成年向け/青年向け」というまさに成年コミックマークの登場によって成立したであろう概念を、マーク登場以前に安易に遡らせている点に、強い疑問を覚えました。(マイナー出版社/大手中堅出版社の例示がないのも??)
▽あれ? そうか、マーク登場以前のマイナー出版社/大手中堅出版社の「エロマンガ」に、たとえば流通上の区別が存在したか、主観的なイメージではない、客観的に測定できる区分が存在したかは、検討の必要あり(存在したかもしれないし、しなかったかもしれない)。 成年コミックマーク以前に成年向/青年向の区別は(どのように?)存在したか。


▽実証。 たとえば。p.12。講談社が刊行した成年マーク付きコミックス(『IKENAI! いんびテーション 3』)。売上不振であったというが、根拠の提示がない。また大手版元が具体的にどのような推移で成年マーク市場から撤退し、マイナー出版社のみの市場になっていったか、その実態――たとえば出版点数と版元の推移――が示されない。(もしくは文献指示がない。)
▽たとえば。 p.17「マンガの規格化」という観点は正しいと思う。 けれど、それってみんな思っていることなわけで、それがいつから、どのような推移を経てエロマンガは「規格化」したのか、それを立証するのが重要かと。成年マーク登場直後にそれが生じたとは思えない。とすればマーク成立+αの規格化条件を示す必要があるのでは?


閑話休題
▽感想。 p.15。成年コミックマークは、その図書を管轄するのが東京都(健全育成条例)から警察(刑法猥褻罪)に移ることを示しているとも言えて、その観点があったら、もしかしたら何か別のものも見えたかもしれない。たとえば p.18の局部修整についてとか。あるいは日本におけるポルノ概念の狭小とか。
▽ん。管轄が東京都(都条例)から警察(刑法)に移る、という言い方は不適切でした。管轄が警察だけになる、のほうが近い? 実際には、都条例に引っかからないようにすると、自動的に刑法にも引っかからない、という状況がたまたま出来ているだけですものね。(本来は両者は独立している。)


▽その関連で、p.18の図5 とか興味深かったです。 同じコンビニ誌でも、エロ劇画誌でここまで甘い修整は少ないのではないか。なぜか? もしかしたらこれは p.11に述べられた「(美少女コミックの絵柄に対する)誤解」の対偶(?)で、いわゆる美少女系の絵柄は、リアルなエロ描写として(取り締まる側には)見えてないのかもしれない。
▽図5。劇画誌というか、実写グラビア誌でも絶対ありえないですよね。逮捕される。 この差はなんなんでしょう。なぜ、いわゆる美少女系の絵は成年マーク無しでもこの局部修整で許されるのか。 さらに言えば、成年マーク漫画における局部描写(修整の強さ)がどういう歴史をたどっているのか、誰も実証してない気がします。
▽あ。でも実証すると、その論文を根拠に刑法175条で逮捕劇!とか生じかねない気もしてきました…(汗)

▽たゅんさんが一等読ませたかっただろう第三章までなかなかたどり着かず(汗) ちなみに個人的には『漫画をめくる冒険』が参照されているのが妙に嬉しかったです! とても好きなんです、あの本。


▼「表現の自由」と「出版の自由」。
QT @talyun_: 出版に対する都の兵糧攻め(萎縮効果を利用した実質的な出版統制)は残念ながら合法、だと思っていたほうがいいのではないか。表現の自由を過信しすぎだ。
▽私もそうだろうと思います。法律は1かゼロかではないのですし。「表現の自由」の本家本元である欧米の事例として→ ▼「ドイツ青少年保護法における有害図書規制」(杉原周治,2005) http://ci.nii.ac.jp/naid/110004709981 QT @talyun_: 出版に対する都の兵糧攻め(萎縮効果を利用した実質的な出版統制)は残念ながら合法、だと思っていたほうがいいのではないか。表現の自由を過信しすぎだ。
▽杉原周治「ドイツ青少年保護法における有害図書規制」(「広島法学」29-1、2005)。 非常に面白く読めた。註メモ:1, 3, 8, 16, 19, 20, 58, 66。 なお p.156によれば、ドイツの有害図書規制はEU内で「最も厳しい規制のうちに属するという評価を受けている」。


QT @MonD_san: @talyun_ 100%販売を制限すれば出版を禁止したことと同じことになりますよね? では,18歳以上にしか売ってはいけないという規制を設けた場合に害される出版の「本質的な」意味ってなんなんでしょうね? これはけっこう難しいかもしれません。/ about 23 hours ago
QT @MonD_san: 「出版」の意味を厳密に考え出すと難しいんですよね。そもそも「出版の制限」と「販売の制限」が厳密に区分けできるかといえばそうではないですし。学会では厳密に定義づけをせずに,ある表現規制表現の自由を害するのかみたいな感じで議論されている気がします。→続く
QT @talyun_: @MonD_san 法学的には出版の意義とは「一般」への「流布」にあると考えてもいいでしょうか?
QT @MonD_san: あえて,出版と販売を分けるのであれば,出版の意義をそのように考えても間違ってはないと思います。教科書でそのように書いてあるわけではないですけど。 出版と販売を分けたうえで,出版の部分的な制限ってどうやるのかよく分かんないんですよね。結局それって,→続く
QT @MonD_san: 販売の時点でその表現を受け取る人を限定しているんじゃないかと思うんですよね。「18歳以上向けに出版する」ってことと,「18歳以上にのみ販売する」ってことが,違うことを意味しているのか,同じことを意味しているのかってよく分かんないので・・・。


▽出版の自由(公表の自由?)は、表現の自由の下位カテゴリー、か。 思想信条の自由、内心の自由(?)といった権利とはレイヤーが違っていそう。だが現実には、出版(公表)の自由を欠いた表現の自由は、きわめて消極的あるいは限定的な意義しか持ちえないような…。
▽販売規制については、アクセスする権利の制限、と考えればよいのか。成人に対する制限と、未成年に対する制限は意味が違っていそう。成人は法的責任を完全に負うから。 逆に言えば、未成年に成人と同じ責任を負わせるなら、アクセス制限に正当性はなくなるのか。
▽仮に、出版の自由=公表の自由と考えてみる場合。 公表する相手が{成人+未成年}からなる「一般(全国民?全人類?)」でなければ、「公表(出版)」したとは言えないのだろうか?
▽別方面から考えると。 レーティングされた映画やゲームは、アクセス権を制限しており、公表(出版)の自由が侵されている、と考えられるか。 区分陳列(ゾーニング)されてはいない、あるいは違反罰則がないゆえに、侵害されていない、と言えるのか。

▽このあたりは、おそらく MM兄の言うゾーニング排除の論理、という指摘とも通じるだろうし、私がいわゆる規制反対派のほとんどを本質的には無自覚な規制賛成派だと見なす理由とも通じている。たぶん。
ゾーニングを消極的にであれ必要悪として受け入れる時点で、私は規制賛成派の一人に数えられるべき。


▽戻って。 たとえば。社外秘(特定サークル内)で著作を頒布した場合、つまりアクセス権を限定して流布させた場合、それは公表(出版)したと見なされるか? あるいは行政官庁の内部資料(千部印刷されていたとして)は出版物か? おそらく違うのではないか。
▽対して。 同人誌はその印刷部数にかかわらず、出版物であり、公表されたものと見なされる、と思われる(「業として」の出版ではないとしても)。 では同人誌に「Adult Only(成人向け)」と表示されている場合はどうか。
▽未成年と成人の差違をどう考えるか。 各法律に規定された法的権利と年齢の線引きの問題と、実際にこの社会で刻まれている年齢(あるいは就学の有無)による差別のズレ。 また「児童の権利条約」などは、未成年の権利をどのように捉えているか。
▽さっきの年齢の線引きの問題、記述が混乱してる。酔っ払ってきたか…


▼@talyun_ 脇からごめんなさい。たゅんさんの言う理想的な「一般」て、具体的にはどの範囲でしょう? QT @talyun_: ちょっと頭の中整理しました。 私の疑問は、出版行為に販売行為が含まれていたとして、販売時に年齢制限などがかけられ、販売対象者が限定された場合、「一般」に「流布」したことになるのかということです。対象者が限定されたとしても、対象者を「一般」と呼べるのでしょうか。
QT @talyun_: 出版とは政治的な言葉だと思います。なので民主主義国家を謳っているならば、一般とは全国民であるということになるでしょうね。


▽了解です。 しかし、民主主義国なら全国民であるべきだとすると、選挙権(政治への参加権)が制限されている未成年は、民主主義国家に参加していない、とも言える? QT @talyun_: 出版とは政治的な言葉だと思います。なので 民主主義国家を謳っているならば、一般とは全国民である ということになるでしょうね。
▽なるほど確かに。前段、後段ともに一定の妥当性がある議論のように思われます。 QT @talyun_: 選挙権を得る直前までの段階で、彼らの受け取る情報が権力によって恣意的に操作されてしまえば、権力に都合のよい洗脳がおこってしまう恐れがある。と言えると思います。また選挙権を持つ成人に意見することも可能であるという点で、間接的に選挙に参加しているとも言えると思います
▽が、だとするとゾーニングのみならず、レーティングもまた、洗脳を結果しうるのだろうか? また、そうであるなら、むしろ成人/未成年の区別(差別)はそもそも撤廃されるべきだ、ということにはならないのか? 考えてみます。


▽「まったく」、というのは強すぎると思いますが、なんとなく分かります。卒論の文献表に載っていないものだと、田島泰彦『人権か表現の自由か』(日本評論社、2001)なんかも たゅんさんと同じ立論で、だが今や何もしないわけにはいかない、ではどうあるべきか? という方向で考えていると思います(好意的な解釈としては)。 QT @talyun_: このような主張は、マンガ規制の歴史においては有害コミック騒動より前にはよく叫ばれていたものです。戦争の記憶が薄れたのか、それ以後は(騒動において左翼が女性の人権の側についてからというもの)、効力を失ってしまったのか、まったく見られなくなりました。
▽あ、私も法学素人です! ただ、18歳という基準が妥当かどうかを措けば、民主主義政治への参加権を十全に持つ成人と、持たない未成年を区別するのは法的には正当化できそうにも思えます。先にご紹介したドイツのそれは、確実に成年と未成年を別物として扱ってるっぽいですよね。


▼うあ、ぜひ反論を! 些細な部分でもいいので! (外野から無責任にコメントしてるだけなので、もっともなことばかりなんて言われると不安がつのりまする…) QT @talyun_: たくさんの感想ツイートありがとうございます。反論するまでもなくもっともなことばかりで、己の至らなさをただ実感するのみでした。。。 コンビニ誌については、私もちょっと調べましたが、黒幕のフランチャイズ協会がブラックボックスなので、基準等はさっぱりわからないですね。


コンビニエンスストア
▽コンビニ=ブラックボックスは確かに。 でも傍証はとれそうです。成年マーク付の出版物は現在、コンビニ流通していない(事実か?また過去においてはどうか?) また、都条例施行規則の第19条の三はコンビニを意識しているように見える。それと小口シール留め開始との関係如何。 QT @talyun_: // コンビニ誌については、私もちょっと調べましたが、黒幕のフランチャイズ協会がブラックボックスなので、基準等はさっぱりわからないですね。
▽本来、施行規則は「不健全指定された図書」の陳列について規定しているのですが、コンビニは成年マーク無しのエロ雑誌を区分陳列するにあたり、施行規則に従っている(なぜ?)。また、成年マーク付きの出版物も、おそらく施行規則の規定に従うかたちでゾーニングされている。

▽また、小口シール留めはコンビニの要請による自主規制 http://www.shuppan.jp/bukai8/41-200528.html シール留めされた図書で不健全図書指定されたものはあるか? おそらくほとんど無いのではないか。とすれば、都とコンビニと版元の間で、なんらかの「手打ち」がなされている。
▽コンビニ規制基準は、フランチャイズごとの差はありますが、各コンビニチェーンの取扱雑誌を大量に精査すれば少し見えてくるはず。 たとえば、表紙・裏表紙に「乳首」が見える雑誌は、某7-11には皆無に近いと思われます。でも、面倒くさいから誰も調べないし、内部の人間は語らない。


▼「マイナー出版社」概念の再審。
▽あ。感想を書いてみて思ったのですが、{大手中堅出版社/マイナー出版社}の線引きこそが、むしろ成年コミックマークの成立によって生じた、と言える可能性はないのでしょうか? 成年マーク付きの図書を出版している出版社/していない出版社、として。
▽そう思ったのは、例えば以下の事例から。 白夜書房成年コミックの版元をコアマガジンとして分離しましたし、最近だと晋遊舎が成年向け部門をマックスコーポレーションとして分離しています(現在、親会社が成年マーク付き図書を刊行していないかどうかは未確認)。
▽成年向け出版物を分離する版元の事例について、以下のコメントを頂きましたのでご紹介。 QT @****: 過去、白夜書房晋遊舎の名前でマーク付きは出てますが、分離後は出してないかと思いますです。


▽かなりの無茶を言ってるのは自覚した上で。
▽通常、企業規模によって判断される、というのはその通りなのですが、考えてみると、私たちは出版社の規模や実態を、実はよく知りませんよね? その資本金とか売上高とか。 とすれば、何をもって「大手」と「マイナー」を区別しているのか。 QT @talyun_: 大手・中堅・マイナー出版社といった線引きは通常企業の規模によってなされます。企業の規模によってマンガ表現が異なるという状況になったのはマーク以後であり、これは卒論の通りです。

▽たとえば卒論p.13 に引く村上知彦いしかわじゅん発言も「マイナー/大手」という言葉を使っている。けれど、それは本当に企業規模によって判断されているのだろうか? 勿論、マイナー/大手の違いなど存在しない、と言っているのではなくて。 そうではなく、むしろ作品がポルノを志向するかしないかで、大手/マイナーを区別してないか? と。
▽(もちろん、村上&いしかわ発言が成年コミックマーク導入後の発言(1993年)であることも注意されるべきである。)
▽もしそうであるなら、{大手・中堅出版社/マイナー出版社}という対立項は怪しいし、その前提の“自然さ”に乗せられることで見えなくなっているものが存在するのではないか? 私たちの認識に偏りが生じているのではないか。(単純な話、「マイナー」と括ることで、私たちはデータも確認せずにポルノグラフィ市場の規模をごく小さいものと見積もっているし、「マイナー出版社」の企業規模は小さいものと思いこんでいる。)


▽「単純に」言っていいなら、確かにそうなんです。私たちはなんとなく「周りの評判」で分かってる(つもりでいる)。 でもこの卒論は、まさに成年マークの存在を「単純ではなく」考えようとしている、と思うのです。 とすれば、大手/マイナーの区別も、一度疑ってかかる必要があるのではないか? 「周りの評判」に寄りかかっていてはいけないのではないか? と。 QT @talyun_: 私たちが出版社の企業規模を推測する判断材料としては、ひとつにはマーク付きマンガを出版しているか、というものがあるでしょう。確かにこの基準はマーク以後のものかもしれません。でももっと単純に、出版社の規模は周りの評判でわかるというものではないでしょうか。
▽特に、発言者たちのほとんどが無自覚に「大手/マイナー」と口にしながら、両者の弁別基準を明示的に説明できないと思われる状況では。 彼ら/私たちがその区別を用いている以上、そこには自覚されていない「基準」が存在する、はずで。それは言語化する意義がある。


▽参考。 その説の妥当性について私は疑問ですが、小田光雄『出版社と書店はいかに消えていくか』(論創社版)pp.112-116 の「赤本系の出版社」という項では、ポルノを出している版元(マイナー出版社)は赤本屋系から出発しており、その他の版元とは出自が異なるのではないか、と述べられています。
▽すなわち、ポルノをめぐって言われる「大手/マイナー」出版社の区別は、じつは版元の「出自」によって歴史的に生成しているのではないか? と言っているわけです。 私自身はかなり疑問を覚える仮説ですが(だって版元は倒産/起業して入れ替わりますもの。買収だってあります)、検討の価値はあるんじゃないか? と。


▽あ、誤解がないように為念。『出版社と書店はいかに消えていくか』自体は良い本です! 出版物の「取次」すなわち「流通」を語っていて、個々の記述の妥当性は検討の要ありとしても、一般書として類書はほとんどないはずですし、読みやすく非常に啓発的です。
▽『出版社と書店はいかに消えていくか』は読む価値、あると思います! ただ、この“出版流通”というやつは、鵺みたいなもので得体が知れません。とにかく情報がない。コンビニの規制と同じ感じ(それがあるのはわかっているけれど、外からはルールが見えない)。この本はかなり一般向けも意識してる感じですが、それでも出版業界人向けに書かれてるのは否定できず、どうにも全貌が分かりにくい…。 QT @talyun_: いやー。これもぜひとも読んでおきたい本ですね!
▽ただ、それでも、流通の影響力を認識しようとせずに「本」の問題を議論するのは非常に問題があります。そのあたり、この本の第一章「出版社・取次・書店の危機」など読むと実感できます。 私たちが本と接する窓口(=書店)が、そもそも根本的に流通システム(取次流通とそこから生じる金融システムのようなもの)によって規定されているのが、非常によく分かります。


▼第二章 p.15。 エロマンガバブルと「大手・中堅出版社」の関係について。
エロマンガバブルが生じた=儲かる市場になった、のであればマイナー版元以外も参入しそうです。p.16で大手中堅出版社もまたエロを奪われていたとありますが、成年マークあり/無し両方出せばよいですよね? なぜ参入しなかったのか?
エロマンガバブルと言ってもしょせん小さな市場だったのか? ポルノ志向作品のノウハウがなかったのか? マーク付きポルノグラフィを刊行することになんらかのマイナス(社会的サンクション?)があったのか? 講談社の『IKENAI!〜』が売上不振であったからという理由で、大手はみすみす商機を逸したのでしょうか。
▽あ、今のは質問ではなく、卒論を拝読して生じた問いのメモです。(直感的にはこの問いへの答えと、大手中堅/マイナー出版社の線引きの恣意性の問題は通じています。)


▽成年マーク付きエロマンガの歴史。 仮に00年代に一般漫画にエロが回帰したとすると(p.16)、1990年代には「過激化」「抜き重視」はマーク付エロマンガの主流ではなかったのか。「規格化」は具体的にどういう年代を刻んで生じたのでしょうか。(マークが“原因”だと本当に言える?)
▽そんなことを考えると、成年コミックマーク導入初期の歴史には、おそらく各アクターと社会環境との間に何かとても微妙な交錯が織りなされていて、結果、私たちが今見るような「成年コミックマーク」の磁場が成立したのだろうなあ、とか思いました。そこには変遷がある。 単なる市場分化の問題ではなく。
▽今、私たちの前にある、“すでに出来上がってしまった成年コミックマーク”ではない、もっと不安定な「状況」がマーク初期には存在していて、それはもう私たちには見えなくなっている。 そうして、その状況との相互作用、ループ効果(?)の中で、エロマンガの表現は変容してきたのだろう、それを知りたい、とか夢を見ました。
▽(読み手にそうした夢を可視化してみせる点に、この卒論の価値があるだろう。)


▼ん。 マークの影響に絞った事というか、「成年コミックマーク」そのものがいわばループ効果の“過程”として存在していた(そして実は今もしているのではないか?)、という視座を明確に設定できると、論文の構造がもう一段骨太になったのではないかな…と。 QT @talyun_: 卒論ではマーク影響に絞りましたからね。それ以外の要因(状況)についてもありえるとは思います。(卒論中でも不況の影響は指摘しておきました。)
▽卒論だと、「成年コミックマーク」それ自体がマークと各アクター、そして市場の相互作用の中で生成しているって枠組みが弱くて(マークは影響を与える「原因」として固定化されている)、それを打ち出せると、もしかしたら第二章と第三章の理論的つながりの薄さが埋められたのかしら、とか直感。
▽あともちろん、そういう視座が明確であれば、終章で「現在」を見る視線も変わったのではないかな、と。「成年コミックマーク」というのは何か固定した規範のようなもの、ではない、という視座を置くことで、第三章が単純な反映論(成年マーク→漫画表現)に陥るのを回避できるわけで。
QT @talyun_: なるほどです。確かにマークはうまく対象化できていませんでした。 QT @****: ん。 マークの影響に絞った事というか、「成年コミックマーク」そのものがいわばループ効果の“過程”として存在していた(そして実は今もしているのではないか?)、という視座を明確に設定で…


▽〔以下、改項。〕
▼作業ノート2 - ilyaの日記 http://d.hatena.ne.jp/ilya/20110227/1298782747