ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

伊藤計劃『虐殺器官』(ハヤカワ文庫JA)を読んで〔2010.2〕

伊藤計劃虐殺器官ハヤカワ文庫JA
▽2010年2月15日初版。早川書房刊。解説、大森望。親本、2007年6月、早川書房刊。
▽著者、伊藤計劃(いとうけいかく,Project Itoh)。1974年生、2009年没。
伊藤計劃 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%A8%88%E5%8A%83


▽最後まで読めた。ライトノベルとして読むなら佳作。


▽以下、伊藤計劃を紹介してくれたKT兄宛て携帯メールを素材に。


▽この作品はあれです。「世界」が小さすぎるのだと思う。思春期一人称の視野にすっぽり収まってしまう世界が、読んでいてどうにもつらい。

▽読み始めて最初は人間の描き方が薄っぺらなのかな、と思った。たとえばこの小説はエピローグに至ってなお、リアルな肉体性を欠いている。(「人間が描けてない」…なんて紋切り型な評言!)
▽でも、おそらくそっちじゃなくて、ここに描かれる「未来社会」があまりに単純で、〈他者〉性とか〈外部〉性とか呼ばれるような余剰を感じさせないのがきついのだと思う。

▽肉体性。人は無惨に死んでいるし、その様子もそれらしくハードに描写している。だが、その描写は奇妙な空虚さを帯びていて。作品冒頭のほとんど露悪的な描写ですら、奇妙に紋切り型を感じさせている。ヴァーチャル化した世界。

▽ただし、ここで人間の(というよりは世界の)「薄っぺらさ」という言葉で言い留めようとしているのは、フィジカルな肉体感覚の欠落では、ない。それは一例にすぎない。
▽(また、この肉体性の欠如はある部分までは確実に著者の意図した効果でもあるはずだ。“かれら(登場人物)に見えている世界”を私たち読者が追体験しているのであってみれば、この紋切り型こそが“かれら”の、ということは現在の私たちの視界だ、とも言えるのかもしれない。)


▽見通しがよすぎる世界。信じられないほどシンプルで単層的な世界。当然、その程度の世界しか持つことのできない主人公たちは、その反射として薄っぺらくならざるをえない。(もしや噂に聞く“セカイ系”というのはこれなのかもしれない。)
▽ジョン・ポール。彼がそれを覆してくれるんじゃないか? 世界は一人のガキに認識し尽くせるような卑小なものではないと思い知らせてくれるんじゃないか? 主人公=読者の高慢な勘違いを叩き潰してくれるんじゃないか? って期待を裏切られたのは痛かった。えー、ジョン・ポール、同じレベルじゃん…!的な。


▽巻末解説(大森望)。『虐殺器官』は最初、「小松左京賞」に投稿され、予選委員は一致して最高点をつけたが、授賞権者の小松左京は最終的に「受賞該当作品無し」とした、という逸話が紹介されている。小松左京、さすが真っ当な批評眼。これが仮に「電撃ゲーム小説大賞」であったら、ぶっちぎりで受賞させなきゃ嘘でしょう、だけれど。
▽(あるいは、もし『虐殺器官』を推輓するとすれば、それはこの小説の「薄っぺらさ」のもつ現在性によって、ではないか? そして私はその現在性が、著者の狙いだったのか、たまさかの結果であったのかを判別しようという動機を持てずにいる。)


▽とはいえこの作品、世評は高いみたいだし、逆に私が「SFを読めない体」になっているのかもしれない。高セキュリティ世界の極限態とか痛覚分離による世界像変容とか、設定は楽しめるとして、その先、それを使って描かれるであろうものに高く期待しすぎたのか。

▽だが。たとえば同じデビュー作でも『神狩り』(山田正紀, 1974年)のほうが、強い。
▽今読んだら『神狩り』の文体は古すぎるだろうし(中二病的だと言ってもいいかもしれない)、作品として尻切れトンボだとしても。ほぼ間違いなく『虐殺器官』は『神狩り』を意識してるし、『神狩り』を書けないこの時代に何が書けるのか? という問題意識を持っているのだけれど……。
▽『神狩り』にあって『虐殺器官』に欠けているのは、超越(外部)への意識、感性であるわけで、そういう意味では『虐殺器官』の小さな世界は、まさに今という時代を写しているのかしらん。超越の不在と不可能性をパフォーマティブに示している、のか。それがどこまで意図的な、批評的なものかは別として。


▽このレベルの作品が絶賛されてしまう日本SF界の水準はやばい、と思う。少なくとも私の中でSFはもっと「凄いもの」だ。一方で、こういう才能ある書き手がライトノベル界ではなく、SF界に行こうとしたのはSFの希望。
▽同時に、これだけ書ける、将来を嘱望しうる新人作家に、今や永久に成長の機会が与えられていないのは許しがたい〔伊藤計劃は若くして亡くなっている〕。そうして、この如何ともしがたい許しがたさの感覚こそ〈世界〉であり、私たちの外部であり、『虐殺器官』という小説に決定的に欠けているものだと思った。『虐殺器官』は絶望へとたどり着くけれど、世界とはむしろ絶望から始まるもの、なのだから。


▽文体。翻訳SFの味わい。ルビの使用法。リフレイン。
▽社会批評としてのSF。シミュレーション小説としてのSFとその小説的滋味。ライトノベルと〈肉体〉性、あるいはライトノベルの文体と〈肉体〉性について。
佐藤亜紀伊藤計劃を賞讃しているらしい。なぜだろう?

▽cf. 山田正紀『神狩り』。川又千秋『幻詩狩り』。柾悟郎『ヴィーナス・シティ』。ブルース・スターリング