ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

笹塚ビジネスコピー事件についてのノート〔2011.11〕

〔※以下の検討は、素人の手でweb上の資料のみを用いてなされたものです。内容に根本的な誤りが含まれている可能性があります。 誤りをご指摘いただければ幸いです。〕


▽「笹塚ビジネスコピー事件」についてのノート。「BOOKSCAN」や「自炊の森」など、いわゆる書籍スキャン代行(“自炊”代行)サービスの問題を考えるために。
▽書籍をスキャンして電子データ化するサービス、すなわち紙媒体の書籍をデジタルデータに複製するビジネスが著作権法違反にあたるかどうかが議論される。その際、類似した過去の事例として「笹塚コピー事件」があるが、web上ではほとんど言及されない。それには相応の理由もあるが、まずは情報として押さえておくべきだろう。


▼三山裕三『著作権法詳説 判例で読む14章』東京布井出版(1995)
▽「第12章 権利の集中的処理機構」脚注 p.201ff――「出版界がコピー問題を意識する契機となったのが、笹塚コピー事件である。この事件は医学書や自然科学書が一冊何万円もする高価な点に目をつけて、笹塚ビジネスコピーという業者が昭和六〇年〔1985年〕頃から学生に「学術書複製専門店」などのチラシやダイレクトメールを配り、学生が本を宅配便で送ってくると、その本の定価の半額から一〇分の一程度の対価でコピーにして製本し、また宅配便で学生に送り返すというビジネスを始めたことに端を発する。〔中略〕 そこで、こうしたビジネスにより本の売れ行き悪化の影響を受けた学術出版社八社は著作権法違反で刑事告訴するとともに設定出版権侵害を理由とする検証を求め東京地裁に証拠保全の申立(〔解説略〕)を行った。東京地裁はこれを認め昭和六一年〔1986年〕二月五日証拠保全の決定をし、これに基づき行われた検証により笹塚ビジネスコピーは実質的に廃業したので、本訴を提起されることなくこの事件は終了した。」
▽――同書の初版(本文 全258ページ)より引用。改訂版は現在雄松堂出版より版行。2010年、第8版あり。


▽文中の「学術出版社八社」は、1985年に結成したとされる「フォトコピー被害出版社団体」であろうか?(cf. 後掲、自然科学書協会ホームページ)
▽「実質的に廃業」とはどういう意味か。単なる廃業ではない、ということか? あるいは法的処理がなされる「倒産」ではない、いわゆる「事実上の倒産」と同じようなものか?


▽以下、web上の資料から読みとれる情報を総覧する。


日本雑誌協会 日本書籍出版協会 50年史《Web版》|社団法人 日本書籍出版協会
http://www.jbpa.or.jp/nenshi/top.html
▼第2部 第4章 知的財産権・出版者の権利 B 出版者の権利と複写等の権利処理 (P.170〜P.181)日本雑誌協会 日本書籍出版協会 50年史《Web版》|社団法人 日本書籍出版協会〔PDF〕
http://www.jbpa.or.jp/nenshi/pdf/p170-181.pdf
▽p.173、「〔註〕22――違法複写対策を進めるうえで,大きな契機となったものに「笹塚ビジネスコピー」事件がある。同社は顧客からの注文を受けて,医学書などの高価な専門書のコピーを無許諾で作成し販売していた。これに対し自然科学系出版社が中心になり,証拠保全の仮処分申請を1985年(昭和60)2月に行った結果,同社は著作権侵害の事実を認め廃業した。」
▽――1985年2月に「証拠保全の仮処分申請」を行った、とある。後掲の自然科学書協会ホームページも参照。
▽「コピーを無許諾で作成し販売」したことが問題視された、と読める。


▼第4部 年表 (P.377〜P.431)日本雑誌協会 日本書籍出版協会 50年史《Web版》|社団法人 日本書籍出版協会 〔PDF〕
http://www.jbpa.or.jp/nenshi/pdf/p377-431.pdf
▽p.406、1982(昭和57)」「日本書籍出版協会/ 11・15 著作出版権委第1分科会,出版物をコピーし製本して届けることを業とする「笹塚コピーサービス」に対する対応策を検討。」
▽p.409、1985(昭和60)」「日本書籍出版協会/ 集中的権利処理機構実行委がパンフレット「本のコピーと著作権」を作成,3万部を企業,研究所,各種団体,図書館,学校などに配布。」
▽p.410、1986(昭和61)」「日本書籍出版協会/ 2・14 笹塚コピーサービス事件和解成立,同社廃業。コピー依頼者に警告書を送付。」「出版業界等の動き/ 2・5 東京地裁,笹塚コピーサービス証拠保全の決定。」
▽p.415、1991(平成3)」「日本書籍出版協会/ 4・1 「著作者・出版者複写権集中処理センター」設立総会を開催(服部敏幸理事長)。著作者団体,出版者団体を会員とし,権利者からの複写の権利受託業務を開始。」「出版業界等の動き/ 9・30 「日本複写権センター」設立総会を開催,会長・近藤次郎(日本学術会議会長),理事長・大林清(日本文芸著作権保護同盟理事長)。」
▽――年表では、社名が“笹塚コピーサービス”と記述されている。同書第2部第4章では“笹塚ビジネスコピー”と記述。
▽和解内容の詳細は不明。なお前掲の第2部第4章には、笹塚ビジネスコピーは「著作権侵害の事実を認め」た、と記述がある。
▽前掲『著作権法詳説』では笹塚ビジネスコピーの活動は「昭和60年頃から」とされるが、すでに1982年(昭和57年)11月時点で問題視されていたことがわかる。(この年表における年代誤記の可能性はあるか?)


日本美術著作権連合とは|AG問題解決支援者|ART-STADIUM Home Page〔牽牛/塚崎健吾〕
http://www.kengyu.com/bijoren.html
☆美著連の歴史と活動/〔略〕 美著連〔日本美術著作権連合〕は、設立〔1965年〕当初から著作権啓蒙活動、擁護活動を積極的に行ない、多くのトラブルや事件などにも対応してきましたが、1970年代後半ごろからの約10年間、連合としてはほぼ休眠状態でした。その後、1987年、コピー機による書籍の大量コピー事件をきっかけとした日本複写権センター設立準備に参加するため活動を再開。再び精力的に、加盟各団体他、著作権擁護団体と歩調を合わせながら諸問題に対応しています。」
☆美著連の目的と主な活動/〔略〕 ●日本複写権センターへの参加: 1985年(昭和60)ごろから学生などの注文を受けて高価な学術書のコピーを請け負う『笹塚ビジネスコピー』という業者が現われました。その後業者は刑事告訴され、その検証中、ビジネスコピー社は実質的に廃業したがこれがきっかけでセンター設立に繋がりました。美著連では設立に準備段階から参加し、現在も理事、事務局が運営委員会に出席、毎回理事会で報告があります。」
▽――笹塚ビジネスコピー社が「刑事告訴され」たとしている。
日本複写権センターの設立契機が笹塚ビジネスコピー事件であったことがわかる。(ただし、後掲の三浦勲「学術文献複写と著作権問題」も参照。)
▽ここにも「実質的に廃業」の文言が見える。


▼違法コピーをなくそう! 複写複製問題に関する年表および当協会の取組み|社団法人自然科学書協会ホームページ 〔PDF〕
http://www.nspa.or.jp/data/2003_4.pdf
1982(S57)/ ・フォトコピー特別委員会設置」
▽――同年11月の日本書籍出版協会 著作出版権委第1分科会で行われたとされる、笹塚ビジネスコピーへの対応をめぐる協議と関連するのだろうか?(cf.『50年史』年表)
1985(S60)/ ・著作権法の一部改正のための要望書を文化庁に提出/ ・版面に関する出版者団体協議会(書協、雑協、自科協、梓会)発足/ ・笹塚ビジネスコピー事件に対し「フォトコピー被害出版社団体」結成、翌1986(S61)年には該当業者を東京地裁に提訴」
▽――ここで1986年に行われたと記されている東京地方裁判所への「提訴」は何を指すのか。刑事告訴を指すのか? 証拠保全の申立なのか? あるいは両者を指すのか?(cf.前掲『著作権法詳説』) なお、前掲『50年史』第2部第4章は、前年の1985年2月に証拠保全の申立を行った、としている。
▼協会の沿革|社団法人自然科学書協会ホームページ
http://www.nspa.or.jp/enkaku.html
「昭和55年〔1980年〕2月14日 フォトコピー特別委員会創設」
▽――フォトコピー特別委員会の設置時期が、前掲PDF(年表および当協会の取組み)にある1982年ではなく、1980年とされている。
「昭和60年〔1985年〕2月13日 笹塚コピー事件」
▽――1985年2月13日、不詳。この日に刑事告訴および証拠保全の申立が行われた、のであろうか? あるいは証拠保全の申立のみが行われたのか? 前掲『50年史』第2部第4章にも「証拠保全の仮処分申請を1985年(昭和60)2月に行った」とある。
▽前掲PDF(年表および当協会の取組み)には翌1986年に「提訴」とある(刑事告訴の意か?)。なお、証拠保全申請のみが1985年になされたとした場合、実に1年を経て地裁の証拠保全の決定(1986年2月5日)が行われる、などということがありうるのか?(緊急を要するからこその証拠保全ではないのか?)
▽なお、『50年史』の年表では、翌年の1986年2月5日に東京地裁による証拠保全決定、2月14日に和解成立と記述がある。


▼懐かしい場所をはしご 2009.10.06 Tuesday|WEB MAGAZINE YAMAMOTO NAINEN-KI
http://j36.jugem.jp/?eid=298
「その後、笹塚に打ち合わせ。/笹塚は実家を出て初めて住んだ街、駅から5分のトイレ共同風呂無し4畳半のアパートでした、あのころはなんだかぽかぽかしてましたね〜、それが青春って奴なのかな?玉川上水沿いのジンチョウゲの香りが記憶に残ってます。/それともう一つ、笹塚は高校生の時、笹塚ビジネスコピーという大学生のお兄さんがやってたマンションの一室のコピー屋さんでよく同人誌を刷りに行ってましたね、ある時「その同人誌のコピー代タダにしてあげるからバイトして」と言われて医学書をコピーしました、しばらくして、そのお兄さんは医学書を違法コピーして医大生等に売っていた容疑で捕まって新聞に出てましたね、これもまた、青春の思い出?」
▽――漫画家・山本マサユキ氏の日記。笹塚ビジネスコピーが学生によって経営されていたらしいことがうかがえる。


▼以上のweb資料から把握できることは以下のとおり。
▽1982(昭和57)年11月、日本書籍協会の著作・出版権委員会 第1分科会にて、笹塚ビジネスコピーの問題が取りあげられた。〔この問題に関連して、自然科学書協会が「フォトコピー特別委員会」を設置? ただし委員会の設置時期を1980年とする記録もあり。無関係かもしれない。不詳。〕
▽〔1985(昭和60)年 or 1986年(昭和61年)2月?、東京地裁に、朝倉書店ら学術系出版社8社(=自然科学書協会らが結成した「フォトコピー被害出版社団体」なのか?)が笹塚ビジネスコピーの業務を著作権侵害(設定出版権侵害)として刑事告訴、および証拠保全の申し立てをした?? いずれか一方のみ行われた可能性もある。不詳。〕
▽1986年(昭和61)年2月5日、東京地方裁判所が、笹塚ビジネスコピーに対する証拠保全決定を下した。同年2月14日、笹塚ビジネスコピーと原告との間で和解が成立。笹塚ビジネスコピーは著作権侵害の事実を認め、「実質的に廃業」した。日本書籍出版協会は、笹塚ビジネスコピーへの依頼者(発注者)に対して「警告書」を送付した。
▽よって、裁判による判例は存在しない。


▽記述がweb上にある資料間で矛盾している。そこでGoogleブックサーチで文献を検索してみると、同時代資料がいくらかヒットする。以下に掲げておく。


▼『出版年鑑+日本書籍総目録CD-ROM 1987年版』出版ニュース社、p.64(第1編 年間史)に関連記事が見える。笹塚ビジネスコピーの顧客に対して送られた警告書の内容も転載されている。web上で閲読できた部分を掲げる(Googleブック検索)。
笹塚コビー問題 著作権者・出版権者の許諾なく学術専門書(医学書、薬学書、獣医学書など)の複製本(海賊版)を作り、定価の3分の1程度で頒布している事実があるとして、朝倉書店ほか学術専門出版社8社は、書籍協会、自然科学書協会、出版梓会、医書出版協会など出版団体の支援を得て、〔1986年?〕1月29日、東京・笹塚の有限会社笹塚ビジネスコピーを相手どり東京地方裁判所に証拠保全の申し立てを行った。この申し立ては2月5日に决定し、故判祈〔裁判所?〕は2月13日、違法行為を裏付ける多くの証拠書類を入手、笹塚コピーは廃業を申し出た。」「発注者は個人名が多い力〔が?〕、注文書に記入されたところによると、国公私立の医学部、薬学部、獣医学部の関係者がほとんどであった。そうしたことから、〔日本〕雑誌協会、自然科学協会、出阪梓会、日本医書出版協会は理事長の連名で、3月30日付で受注者〔発注者の誤記か?〕に下記の警告書を送付した。」
警告書/ 冠省 早速で恐縮ですが、「著作権法」では、権利者の許諾を得ないで著作権のある著作物を複写複製(コビー)することは法定の条件を満たさない限リ、違法とされております。そして、他人に依頼し、または依頼されて学術書などのコビ一を行なうことは、いずれも著作権法違反(著作権侵害、出版権侵害)とされ、民事上、刑事上の責任が問われることになります。」「この度、学術書などのコピーを業としていた笹塚ビジネスコピー社は、著作権法違反として責任を追及され、廃業致しましたが、通知人ら〔日本雑誌協会、自然科学協会、出阪梓会、日本医書出版協会 各理事長〕は、今後このような問題が繰返されぬよう、重大な関心をもって、関係 ...」「つきましては、同社の受注者名簿に貴殿の名前があり、誠に遺憾に存じます。今後は右のような行為をしないよう十分に御留意頂きたく要請します。/ なお、万一、右要請にもかかわらず、このような違法行為を繰り返す場合には、やむを得ず法的措置を講ずることになりますので、予め御承知おき下さい。 / 右のとおり警告いたします。」〔※項目終わり。続いて「国語問題」の項あり。〕
▽――同時代資料。1986年の出版関連ニュースを集めている書籍。前掲したweb上の資料では矛盾したり欠落したりしていた情報が見える。
▽これによると、笹塚ビジネスコピーの正式社名は「有限会社笹塚ビジネスコピー」であり、社屋を東京笹塚に構えていた。笹塚ビジネスコピーによる複製権侵害が生じた書籍は主として医学関係の専門書であったらしい。前掲資料で著作権侵害を提訴したとされていた「学術出版者8社」は、朝倉書店など8社。証拠保全を受けて、笹塚ビジネスコピーは「廃業を申し出た」とされている。
東京地裁への証拠保全の申し立ては、1986年(昭和61年)1月29日に行われたものと読める。一週間後の2月5日に証拠保全の決定が下され、2月13日に証拠保全が執行されたと推測できる。
刑事告訴の有無については言及がない。
▽同年(1986年)3月30日付で、コピー依頼者(発注者)への警告書が雑誌協会ほかの理事長連名で送付されている。


▼『出版指標 年報 1986』全国出版協会出版科学研究所(1986年刊)。以下、同じくweb上で閲読できた部分のみ掲げる(Googleブック検索)。
▽p.6、「2月 医学書など高価な学術専門書を、写真複製した安い「海賊版」が研究者や学生たちの間に〔以下不詳〕」「出版など専門学術書の出版社8社が、複製本を製作している東京・渋谷の笹塚ビジネスコピーを著作権法達反を理由に刑事告訴と、複製差し止めなどの民事訴訟を起こすことを明らかにした。この種の複製本を訴えるのは日本の出版界では初めてのこと。例えば「古生物百科事典」(朝倉書店)定価 1万2,000円のものがコビーでは 3,750円とのことだった。なお、業界全体では〔?〕年春の段階で、理工系専門書換算によると約 1,400万冊分にも相当する被害を受けていることになるという。」
▼『出版データブック 1945-1996』出版ニュース社(1997年刊)。同じくweb上で閲読できた部分のみ(Googleブック検索)。
▽p.5、「2月 専門書出版社8社が、丸ごとコピーの複製本販売の笹塚ビジネスコピーを著作権法違反で告訴。」


▽参考:
▼書籍の電子化、「自炊」「スキャン代行」は法的にOK? 福井〔健策〕弁護士に聞く著作権Q&A|INTERNET Watch
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/20100917_393769.html
▼ダウンロード違法化、どこまで合法? 福井〔健策〕弁護士に聞く|INTERNET Watch
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/20100108_340934.html
▼書籍スキャンサービス比較
http://scanbook.blog119.fc2.com/


▼学術文献複写と著作権問題:三浦勲|WEB大学出版 第54号|大学出版部協会
http://www.ajup-net.com/web_ajup/054/54miura.html
「学術文献の複写権問題は、欧米では、社会における科学情報流通システム形成の過程のなかで、著作権者・利用者・集中管理団体の三当事者のなかで、歴史的経過をへて合意形成がなされてきた。/ しかしながら、わが国では、外国の文献が著作権料フリーでコピーされている等の世界複製権機構(IFRRO)や国際出版連合(IPA)からの日本政府へのクレーム(外圧)により急遽、文化庁(官)主導で日本複写権センターが設置されている。出発点から「文献複写」は、利用者にとって不可欠な情報流通システムであり、しかも、その利用の中心は企業であり、かつ複写対象のほとんどがいわゆるSTMといわれる医学を含む科学技術雑誌である。そして文献複写はドキュメントデリバリという文献情報流通の世界システム(市場)がすでに形成されている、といった基本認識がまったくなかった、といっても過言ではない。利用者を含め、欧米にみられる社会的・歴史的な合意形成が関係当事者間で図られないまま、2001年10月には、「著作権等管理事業法」が施行され、混迷状態に拍車がかかった、というのが現状といってよい。」
▽――日本複写権センターの設立は、海外からの圧力による点が大きく、文化庁主導で行われたとされている。