ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

清朝時代の「学校」について〔2005.3〕

▽S老師より来信。次に引く加藤周一の文章に言及されている清代の「学校」が具体的に何を指しているか知らないか、との問い合わせ。私には分からず。心当たりのある方いらっしゃいましたらご教示下さい。

引用: 「……中国が清朝であった時代。北京に、一種の国際的な大学院のような学校がありました。その学校は外国からの留学生がたくさん集まったところで、外国からの留学生のために寮みたいなものもありました。寮は国別になっていて、日本の留学生だけを集めた寮もあり、その建物はいまでも残っています。要するに、留学生の多い大学みたいなものだったわけですが、始業式とか卒業式には清朝の皇帝も出席したのです。……」
▽出典は、加藤周一「学びて思わざれば罔し思いて学ばざれば殆し」(岩波ブックレット『学ぶこと思うこと』収載)とのこと。

清朝ということは1911年(明治44年)以前。(1912年1月1日、中華民国樹立。同2月12日、溥儀(宣統帝)退位。)
▽出身国別の留学生寮があり、日本人留学生だけの寮もある(琉球からの留学生は、日本人とは別扱いであったろう)。式典には清朝皇帝が臨席。もしかすると、近代的な意味での「学校」ではないのかもしれぬ。