ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

上古日本語と古代朝鮮語:李寧煕の著作をめぐって

▽TM氏、李寧煕*1『枕詞の秘密』*2(文春文庫, 1992)を購入。いわゆるトンデモ本ニセ科学の書とされる。(単行本、1990年刊*3
言語学というscience。専門知のかたちを知ること。音韻論にせよ、言語系統論にせよ、古語の復元にせよ、そこには学知の蓄積があり、それは素人によって場当たり的になされうるようなものではない。
▽以下、webクリップ。


朝鮮語を知る|趙義成の朝鮮語研究室〔東京外国語大学〕 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/
 →万葉集いんちき解釈の一例|趙義成の朝鮮語研究室 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/intiki.html
 →古代朝鮮語解読のさわり|趙義成の朝鮮語研究室 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/kodai.html
▼【ことばをめぐる】(16)人麻呂の暗号,額田王の暗号,藤村由加,李寧煕,もう一つの万葉集飯間浩明のことばのページ(国語学専攻) http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb016.htm
朝鮮語万葉集が読めるか|北川研究室〔北川和秀(群馬県立女子大学)〕 http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/qa/manqa09.html
▼比較言語学から見た日本語と朝鮮語|生薬、薬用植物(薬草)と身近な野生植物(野草)のページ〔木下武司〕 http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm
 →比較言語学から見た日本語と朝鮮語言語学者KS氏への質問と回答|〔木下武司〕 http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/question_to_KS.htm


万葉集いんちき解釈の一例|趙義成の朝鮮語研究室 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/intiki.html
▽「2つの言語の系統関係を調べる場合、何よりもまず基本となることは、双方の言語をより古い形にさかのぼって比べなければならないことである。これは基本中の基本だ。言語は時代とともにどんどん変化する「ナマ物」である。現代語だけを見て、それが似ているからといって大昔も似ていたとは限らない。幸いにして、日本語は古事記万葉集など古代の言語の記録が残っており、古代語の姿をはっきりと知ることができるが、朝鮮語の場合は言語の姿をはっきりと知ることのできるハングル文献が15世紀までしかさかのぼれず、それ以前の言語に関しては漢字表記された極めて断片的な資料しか残っていない。そこで、朝鮮語はまずもって15世紀の朝鮮語(中期朝鮮語)をじっくりと調べ上げ、それ以前の古代語については中期朝鮮語の知識を基にして、慎重にその姿を推測しなければならない。」
▽「なお、この本〔李寧煕『もう一つの万葉集』〕では「新羅ことば」なるものがしばしば登場するが、新羅語がどのようなものであったのかは、ほとんど解明されていない。ここで出てくる「新羅ことば」なるものは、実は単に現代朝鮮語慶尚道方言に過ぎない。慶州(慶尚道の都市)が新羅の都だったからといって、現代慶尚道方言を新羅語だと決めつけるのは、〔現代の〕奈良弁が奈良時代の言葉だと言っているのに等しいわけで、これをまともに受け留める〔受けとめる〕人はいないであろう。」
▽「なお、真の朝鮮語系統論を知りたければ、『韓国語と日本語のあいだ』(宋敏著、菅野裕臣・野間秀樹・浜之上幸・伊藤英人訳、草風館〔,1999年〕) をじっくり読むのがよい。朝鮮語と日本語の関係を探る作業が、いかに困難であるか、いかに厳密さを要求するかが分かるはずである。」
 →▼Amazon.co.jp: 韓国語と日本語のあいだ: 宋 敏, 菅野 裕臣, 浜之上 幸, 野間 秀樹, 伊藤 秀人: 本 http://www.amazon.co.jp/dp/4883231135


▼古代朝鮮語解読のさわり|趙義成の朝鮮語研究室 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/kodai.html
▽「古代朝鮮語の姿を確認するための資料は極めて少ない。日本には古代の文献が豊富に残っていて、うらやましい限りである。現在、古代朝鮮語を知るために使われる資料は、以下の4つである。/ 〔1〕『三国遺事』・『三国史記』などの朝鮮側の歴史書/ 〔2〕『古事記』・『日本書紀』などの日本側の歴史書/ 〔3〕古代の文学作品/ 〔4〕その他の資料」
▽「■朝鮮側の歴史書/ 『三国遺事』・『三国史記』などの朝鮮側の歴史書を見ると、新羅百済高句麗など古代朝鮮の国の地名が多く現れるが、そこから古代朝鮮語を推測する〔ことができる〕。」「このようにして〔史書類から〕推測される古代朝鮮語は、どれも単語のレベルで留まり、文レベルの解読には至らない。しかも、地名の別称の表記は全ての地名にあるわけではなく、別称表記があっても全ての語を解明しうるわけでもない。ここから知りうる語も、いくつかの名詞や動詞・形容詞の語幹であり、語尾(助詞のたぐい)がどのようであったかは知るよしもなく、ましてや文の構造がどうであったかなどは、全く知る手立てがないのである。」
▽「■古代の文学作品/ 文学作品といっても、古代朝鮮語の姿を知るための資料としては「郷歌〔きょうか。ヒャンガ〕」*4と呼ばれる、新羅時代の歌謡である。ちょうど日本の和歌のようなもので、数行の短い歌謡であり、単語レベルでなく文レベルの古代朝鮮語を知るほぼ唯一の資料といえる。ならば古代朝鮮語は解読されたの〔も〕同然ではないか、と思うかもしれないが、万葉集との決定的な違いは、現存する歌の数である。郷歌は現在20数首しか残っていないため、ここから古代朝鮮語の全貌を知るのは極めて困難である。まずもって、数が圧倒的に少ないため、解読自体がままならないし、ここから判別される単語の数も微々たるものである。郷歌は全て漢字で表記されているが、表記法は漢字の音と訓を複雑に組み合わせているので、たかが20いくつの歌だけでは、それを正確に読み解くことは不可能である。」
▽「■その他の資料*5/ その他の資料としては、主に吏読(りとう)*6などが挙げられる。吏読文は日本の候文の文面に似ており、全てが漢字表記され、一見すると漢文のようであるが、ところどころ朝鮮語の要素が入っている。その朝鮮語の要素を表すものが吏読である。吏読は新羅のころに始まり、漢字の音と訓を組み合わせて朝鮮語を表している。かなり後世まで使用していて、その読み方もずっと伝承されてきたので、ここから古代朝鮮語の片鱗をうかがうことができる。ただし、伝承されてきた読み方が古代においても全く同じであったという確証はないので、その解釈には慎重を期さねばならない。」
▽「このように、古代朝鮮語のまじめな解読は、涙が出るくらいに辛く、分からないことだらけである。古代朝鮮語の姿を知りたいのは朝鮮語学者も同じで、もうウズウズしているくらいである。もし、「本物」があったら、朝鮮語学者だって真っ先に飛びつくだろうし、〔古代朝鮮語の体系を〕解明した人は勲章ものである。だが、一連の「解読」なるもので勲章をもらった人の話はいまだかつて聞いたことがない。」


▼【ことばをめぐる】(16)人麻呂の暗号,額田王の暗号,藤村由加,李寧煕,もう一つの万葉集飯間浩明のことばのページ(国語学専攻) http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb016.htm
▽「この本〔藤村由加*7『人麻呂の暗号』*8額田王の暗号』〕が初めて単行本で出たのは1989・90年のことです。当時、なぜか〈『万葉集』は古代朝鮮語で解読できる〉というような趣旨の本が相次いで出されました。この本や、李寧煕著『もう一つの万葉集』(文藝春秋〔1989年初版、文春文庫1991年〕)などがそうです。かなりマスコミで取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょう。/ これらの説に対しては、当時、専門の立場から周到な反論が出されました。安本美典氏の『新・朝鮮語万葉集は解読できない』(JICC出版局〔1991年刊〕)*9や、西端幸雄氏の『古代朝鮮語で日本の古典は読めるか』(大和書房〔1991年刊。新装版1994年〕)などがそうです。また、「週刊朝日」(1990.2-9, 2-16, 2-23)では大野晋菅野裕臣中西進各氏といったトップレベルの研究者が、李寧煕女史に対し一つ一つ丁寧に反論を加えました。/ 一連の論争で〈万葉集=古代朝鮮語説〉の誤りが明らかになり、ブームは去ったかに見えました。ところが、いつの間にか李寧煕女史の本は文春文庫に収まり、藤村由加氏の本も新潮文庫に仲間入りして、無事に(?)生き延びることになったのです。」「かつて彼女らの〈万葉集=古代朝鮮語説〉をいさめるため、研究者たちは緻密な反論を試みました。しかし、結果として「研究者たちは難しい理屈をこねまわすばかりで新しい説が理解できない」という宣伝に使われてしまった観があります。」


朝鮮語万葉集が読めるか|北川研究室〔北川和秀(群馬県立女子大学)〕 http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/qa/manqa09.html
▽「まず、言語は時代と共に変化します。音韻が変わりますし、生まれる単語もあれば滅ぶ単語もあります。同じ語でも時代によって意味用法が変化します。これは日本語も朝鮮語もそうです。〔※中略〕/ 朝鮮語万葉集が読めるか、というとき、朝鮮語の方も、7世紀、8世紀まで遡ったものが分からないと、万葉集が読める云々ということは言えないはずです。ところがその時代の朝鮮語の姿はあまりはっきりとは明らかになっていないようです。〔※中略〕また彼らは古代日本語についてあまり詳しくなく、清濁やいわゆる上代特殊仮名遣いの扱いについても厳密ではありません。こういう問題点があります。」
▽「万葉集朝鮮語で解けるかどうか、そういう考察をするに耐えるほど古代朝鮮語のことが明らかになっていません。そういう不確実な材料を用いて彼らは万葉集朝鮮語で読もうとしています。その手続きも学問的ではありません。「朝鮮語にこういう意味のこういう語形の語がある」という場合、その語形や語義はいつの時代まで遡れるのか、そしてそれはどういう資料からそう言えるのか、そういうことを彼らはきちんと明示していないはずです。それなしには学問の俎上に乗らないのではないでしょうか。」
▽「さらに、万葉集の歌の表記者は誰かという問題があります。額田王の歌は額田王自身が表記した、人麻呂の歌は人麻呂自身が表記した、と考えて良いか。彼らの多くは何の疑問もなくそう考えているようです。しかし、初期万葉の時代は記載の時代ではなく口誦の時代であったこと、万葉集が編纂物であること、その2点からは、歌の作者と表記者とが同一であると単純に考えることはできません。この考察を抜きにして『人麻呂の暗号』『額田王の暗号』などという発想をすることは笑止です。歌の作者と表記者とが同一であるとは限らない、となった場合、「歌の背後に隠されたウラの意味」という論は根底から覆りかねません。(北川)」


▼比較言語学から見た日本語と朝鮮語|生薬、薬用植物(薬草)と身近な野生植物(野草)のページ〔木下武司〕 http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm
▽「日本に原産する植物にも関わらず、植物名の語源を朝鮮語に求める説は意外と根強いことは「万葉の花の語源について」*10で紹介した。」「また、古代朝鮮語というが、そもそも15世紀にハングルが作られる以前、 朝鮮では全ての文書は漢文で書かれており、当時の朝鮮語がどんなものであったかごく一部しか資料は残っていない。ハングル以前には吏読(りとう)、口訣(こうけつ)、郷札(きょうさつ)という、漢字で朝鮮語を表す方法があったが、それらはごく一部分で断片的しか残っておらず、漢字の音と訓を複雑に交えた表記法なので、どの漢字がどう読まれたのかなどは正確にわからないとされ、またそれらが音韻の複雑な朝鮮語を正確に書き表したかどうかすら定かではない。」
▽「万葉仮名による原文でも、ほとんど問題なく日本語として読めるのが大半であり、一体、どこが古朝鮮語なのかと疑問に思う向きも多いだろう。4500以上の万葉歌謡の中で、解読されていないものが数十首あり、藤村〔由加〕氏が古朝鮮語で読めるとしたのはその中の更に一部にすぎない。すなわち、国語の教科書に収載されているものを始め、99%以上は“正常に”日本語として読めるのである。」
▽「しかし、これをもって日本語と朝鮮語はごく近縁であるというのは早計である。日本語も朝鮮語も大半の語彙は共通の漢語に由来し、相互に関連付けさえすれば理解は用意である。しかし、肝心の大和言葉と韓語の〔語彙の〕相違が意外と大きいのである。後述するように、朝鮮海峡を隔てて地理的に近くても日本語と朝鮮語は〔言語的には〕意外に遠縁で、それぞれ孤立した言語というのがこれまでの比較言語学による結論である。」
▽「ここでは、日本語と朝鮮語の類縁関係を最新の計量比較言語学を用いて検証した安本美典氏の研究を紹介し*11、それが有効であるのかあるいは意味のない方法論であるのか、第3者の立場で検証してみたいと思う。」「安本氏の比較研究では、200の単語〔基礎語彙〕を選んで万葉時代の上古日本語と現代日本語および諸語を比較解析しているが、当然ながら現代日本語との類縁性がもっとも高い。万葉時代から1200年以上経た現代でも、基本的語彙は意外と変わっておらず、古典として万葉集を読むことができるのも納得できる。その次に高い類縁性の認められたのは琉球語である。琉球語は東北弁や関西弁などと並列して日本語の一方言としばしば考えられがちだが、言語学上は列記〔歴〕とした独立言語である。」「したがって、基本語彙で〔上古日本語との〕比較の対象となる古代朝鮮語の痕跡はほとんど残されていないといってよいので、中期朝鮮語、現代朝鮮語との比較データだけしかない。それによると、類縁性はなくはないが、琉球語のレベルにはおよそ遠く、地理的に遠く離れたインドネシア語と同程度の類縁性が認められるに過ぎない。結局、朝鮮語と日本語の共通の祖語があり分化したとしても、6000〜7000年前以降と推定されている。」
▽「現在の朝鮮語新羅語を祖語とするといわれているが、新羅郷歌(ヒャンガ)と万葉歌を比べて見れば、上代日本語新羅語との間には大きな言語学的相違があったことは明らかである〔※略〕。また、音韻の簡略化が平安以降の日本だけで起こっていることを説明するのに、日本語はクレオール語源であるとしばしば主張される。しかし、クレオール語化が起きるには日本列島への異民族の大量流入がなければならないが、上代日本語古朝鮮語が同じだとしたら、どの民族が流入したのか、そしてその言語は何であったのか、このような素朴な疑問すら上記の主張は答えていない。にもかかわらず、現在の比較言語学の方法に欠陥があるというのは、自らの思考回路が全く科学的視点を欠いているか、科学的思考そのものを否定しているといわざるを得ないが、これを理解してもらうには別の視点で説明する必要がありそうだ。」
▽「日本語学者の金田一春彦氏は万葉集をアルファベットで表記すると英語で解読できるのだという(「万葉集の謎は英語でも解ける」、文芸春秋、1956年7月号)。「manyooshuu」の「many」は「多い」、「oo」は「ode」の略で「頌歌」、「shuu」は「shew(showの古語)」 で、「万葉集」は「多くの頌歌の陳列」という風に意味付けられると、金田一氏は皮肉っている。*12
▽「日本の歴史において、古代は資料も少ないので、どうにでも解釈できてしまう傾向がある。これに乗じてか、最近の通俗書では日本の古代史は様々な説にしたがって書かれているが、いずれにも共通するのは自説に都合の悪い資料は頬かむりする傾向、つまり、他説の引用は極力控えるか、無視することが日常的のようである。自然科学の分野でこんなことをすればたちどころに〔論文の〕審査員からクレームがついて訂正を命じられる。筆者も審査員としてそうしたことがあるし、また審査員からそうするよう指摘されたこともある。」
▽「断っておくが、筆者は学者と研究機関に属さない在野の研究者を差別するつもりは毛頭ない。筆者が属する理系の世界ではどんな論文でも関連分野の研究者がrefereeとして審査し、それをパスしなければ学術誌に掲載されることはない。無論、権威のある学術誌であればあるほど審査は厳しく掲載される確率は低くなる。しかし、権威があろうがなかろうが、どんな学術誌でも自然科学系であれば根拠のないデータによる推論は許されず、掲載されるにはそういった部分は削除しなければならない。また学術誌に掲載を認められないようなデータがしばしば単行本内に記載されることがあるが、それは一般人には相手にされても研究者には全く無視される。理系の分野でも通俗説をばらまく人々がいるが、当該学会では相手にされることはない。」


〔※追記: 朴 裕河(パク・ユハ)反日ナショナリズムを超えて :韓国人の反日感情を読み解く』(河出書房新社, 2005)に、“古代朝鮮語万葉集が読める”といったテクストを生産した空間について韓国国内から見た分析がある。〕
 →▼Amazon.co.jp反日ナショナリズムを超えて 韓国人の反日感情を読み解く: 朴 裕河, 安 宇植: 本 http://www.amazon.co.jp/dp/4309243517

*1:→▼李寧煕 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AF%A7%E7%85%95

*2:同書からの抜き書きが次のページにある。 →▼李寧煕著「枕詞の秘密」(N.H.の抜書き)|N.H.の雑記帳 http://www1.r3.rosenet.jp/nb2hoshu/MakurakotobanoHimitu.html

*3:→▼『枕詞の秘密』李寧煕|単行本 - 文藝春秋BOOKS http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163441702

*4:→▼郷歌(きょうか、ヒャンガ) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E6%AD%8C

*5:このページで挙げられていない古代朝鮮語新羅語)に関するその他の資料として、漢文の訓読点にあたる「角筆(かくひつ)」がある。小林芳規を中心とする一連の角筆研究を参照。 →▼「日本における角筆文献研究の現状と課題」(小林芳規, 2006)|広島大学 学術情報リポジトリ http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00015532  →▼「韓国における角筆文献研究の現況と今後の課題」(南 豊鉉, 2006)|広島大学 学術情報リポジトリ http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00015535

*6:→▼吏読((りとう、이두(イドゥ)) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8F%E8%AA%AD

*7:藤村由加」は合同ペンネームという。 →▼藤村由加 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E7%94%B1%E5%8A%A0

*8:『人麻呂の暗号』への好意的な評として次のもの。 →▼書評:ほら貝|藤村由加 『人麻呂の暗号』〔加藤弘一http://www.horagai.com/www/book/rev/rev029.htm

*9:→▼新・朝鮮語万葉集は解読できない (TURTLE BOOKS) | 安本 美典 | Amazon.co.jp http://www.amazon.co.jp/dp/479660183X なお、前年の1990年に同社よりブックレット『朝鮮語で「万葉集」は解読できない』が出ている。 →▼朝鮮語で「万葉集」は解読できない|安本先生著書一覧|邪馬台国の会 http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo49.htm

*10:→▼万葉の花の語源について|生薬、薬用植物(薬草)と身近な野生植物(野草)のページ http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/manyo-ethno.htm

*11:参照した著作として、後段に次の文献註がある。 「ある言語間の類縁性を議論するとき、とりあげた二言語が、世界の任意の二言語よりも、特に関係が密接であることを「客観的」に示す必要がある。安本美典氏はそれを証明するため、以下に述べるような方法に従って検証した(「日本語の起源を探る」、徳間書店、1990年; 「日本語の誕生」、大修館、1990年; 「日本語の起源を探る コンピュータがはかる“やまとことば”成立のモデル」、PHP研究所、1985年)」 http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/nihongo_chosengo.htm#anchor2

*12:次のブログ記事も参照。金田一春彦万葉集の謎は英語でも解ける」(1956年)、安本美典朝鮮語で「万葉集」は解読できない』(1990年)を引用している。 →▼2005-08-26:昨日のついでに(朝鮮語と日本語)|uumin3の日記 http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050826