ilyaのノート

いつかどこかでだれかのために。

「実在児童の人権擁護基金」をめぐって。〔2010.12〕

▼「実在児童の人権擁護基金」をめぐって考えること。2010年の暮れに。


▽「実在児童の人権擁護基金」に寄付したよ。設立運営を決意された皆様に深い感謝を。とりわけ小林来夏=水戸泉さんの〔2010年〕3月以来のアクションに敬意を表します。
 →QT @otakulawyer: 実在児童の人権擁護基金を作りました。皆様からの寄付をお待ちしております。http://jitsuzai-jinken.cocolog-nifty.com/ 12月29日


▼語り口について―― QT @papsjp: 「非実在青少年」への強姦賛美ポルノを擁護するためだけに、実在児童の人権擁護基金をつくる恥知らずな人々には本当に驚かされる。 http://jitsuzai-jinken.cocolog-nifty.com/

▽動機の純粋性―― QT @komati76: @syoukoy 自分たちの仕事が脅かされた途端基金を設立。その動機を、施設の子供たちの前で、ご自分たちのご本を子供たちに配り説明できますか? 施設に訪れた事があるならわかると思いますが、彼らはとてもプライドが高いです、金を恵んでやるんだから動機なんてどうでもいいだろう。という〔続く〕/ 5:54 PM Dec 30th, 2010
▽“人権”という言葉―― QT @komati76: @syoukoy 〔承前〕 彼ら〔被害児童〕の人権を害するような恥知らずな行為はやめてもらいたい。これは自分らの戦いであるからして、彼らを利用するような手段は変じゃないかと思う。/ 5:56 PM Dec 30th, 2010
▽アリバイとしての過去―― QT @komati76: @syoukoy 義月〔粧子〕さんや水戸っち〔水戸泉〕さんがこれまで児童の人権保護活動をしていたなんて聞いたこともないんですが。〔基金の〕使用目的に施設出身者への奨学金とたった1行で簡単に書いてありますよね、今まで10年以上BLを書き続けてきて児童の人権擁護など見向きもしなかったのに。/ 5:51 PM Dec 30th, 2010


▽――“動機の純粋性”〔あるいは“実績”の要求〕は、なぜ欲望されるのか?
▽「ポルノ被害と性暴力を考える会」による不快感表明は、たとえば「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」をめぐる昼夜両氏の大騒ぎとなにか違っているというのか? どうすればpapsjp氏も昼夜両氏も満足するのだろうか?
▽過去の実績以外に“動機の純粋性”を担保するものはあるか? 逆に、過去の実績さえあれば、非難は終熄するのか〔おそらく別の切り口からの批判を欲望するだけである〕。 こうした反応/リアクションに対する、もっとも望ましい応答はいかなるものか?
 →▼Togetter - 「「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」と昼間氏らへんの対立」 http://togetter.com/li/78617
 →▼Togetter - 「昼間たかし氏の従軍慰安婦問題、緊急ネットワーク(女性表現者の会)についてのツイートで都条例反対派が空中分解 #hijitsuzai 」 http://togetter.com/li/78655


基金。年末押し迫った告知であったし当然の結果とはいえ、この程度の額しか集まらないのか…。もちろん年が明ければ状況は変わるにしても。
▽もちろんそれは何より、この基金団体の人脈的背景や基金の寄付先を丁寧に確認もせぬうちに、3月以来見てきた「小林来夏/水戸泉」という名前に賭けて寄付する覚悟を私が決めていただけのことではあるし、みながみな、歳末にそんなお金を動かせるわけでもない。それは分かっているのだけれど。
▽でも、それでも。私と同じように、児童ポルノ禁止法問題の始まり以来、いわゆる「表現規制反対運動」なるものに根本的な違和感を感じ続けてきた人がいるはずだと、そう思ってきたのに。

▽もちろん私の寄付は自己満足にすぎないし、名前を公表できると聞けばどの名義を使うのが自分にとって最大の利益になるかを計算したりもするし、そもそも他人(基金運営などという面倒を決意した人びと)に児童虐待の現実への対応をお願いしてしまえ、という発想が卑しい。
▽しかしそれでも。なんだか納得がいかない。
▽この基金の設立は、私にとっては10年ごしのわだかまり、いわゆる「表現規制反対派」なるものにずっと同調できずにきた鬱屈をようやく晴らしてくれる吉報であり、都条例改正反対派の生んだ、おそらく最大で最良の成果――仮に結果なく崩壊したとしても――であるのに。 この程度、なのか。

▽わがままにすぎない。 自分がたまたまそれができるタイミングにいただけだし、年が明ければもっと大きな額を寄付する法人だって出てくるはずだ(出てこなければ無惨にすぎるでしょう?)。それは分かっている、分かっているけれど…。
▽自己満足にすぎない行為が、自分の期待どおりの結果を生まないことを愚痴る、その醜さ。
▽加えてもちろん、3年後に同様の関心を持ち続けている人間がそうそういるとは思わないし(寄付の早さなぞより、本質的なのは継続的な寄付だし、最終的には法人をどれだけ巻き込めるかだ)、そもそも基金自体が規制反対運動なんぞに資金を回す自滅行為に走らないとも限らない。 たった三日で何を言うのか私は。
▽たった三日、それも年末押し迫った三日ではないか。


RT @plummet: ( ゚Д゚) 実在児童のためのなんちゃら基金ってのもバカみたいだな。もう存在しない条文をあてこすって名付けるとは、正気の沙汰とは思えない。
RT @toshizoaraki: あれは止めたほうがいい。売名が見え見えだし、なによりユニセフより「清潔」な組織にならなかったら自爆だし。 RT @tentama_go: 実在児童保護基金の設立の計画〔2010年11月13日〕とかも出てたり
RT @hiroujin: そもそも「実在児童の人権擁護基金」は反対派が政治力をつけるのと、日本ユニセフの政治力を落とす目的の両側面ある。かつて小学館がやった日本ユニセフに寄付するなどという愚を防ぐ意味もある。
RT @kamayan1192: 来た!実在児童基金来た!これで勝つる! / 実在児童の人権擁護基金のブログ http://htn.to/LycrYh
RT @maruru2178: 続き 実在児童基金。色々思う所もある。しかし今は心から応援したい。大事なのは多くの人が協力する事。これも一つの意思表示。癪かもしれないけど、これで協力者が少なければ「やはりエロ表現を守りたいだけか」という身勝手なイメージを持つ者もいる。どこぞの人権屋とは違うという事を示していこう/ 2011/01/05 20:59:32
QT @****〔※非公開アカウント〕: ここがただの子供の人権擁護団体になってしまってはダメで、あくまで、その「実績」を利用してきっちり規制派を批判する武器にしてほしいということ。免罪符なんてヌルい発想じゃだめ。はっきり「武器」として活用しなきゃ。
QT @****: 「創作物規制なんて何無駄に遊んでんですか、こちらはちゃんと実在青少年を守るために動いてんすよ」という皮肉をきっちりぶつけて、この****さんの(皮肉か本気か分からないのでこの人を責めるわけではないが)言うような規制派我田引水な読み替えがきかない程度に問い詰めて欲しい。
RT @ironleager: 〔東京都〕議会で〔条例改正案を通過させる〕過半数を得た「子どものために」を主張していた人は意外と少ないのですね(皮肉。 RT @otakulawyer 実在児童の人権擁護基金 寄付金の集まり状況 http://jitsuzai-jinken.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-47d1.html
▽――「政治」をしているつもりの人たち。


RT @toshizoaraki: やっちゃったのか。少なくともユニセフより会計を透明化して、ユニセフよりピンハネしないようにしなければ、叩かれるだけだと思うんだけどな。 実在児童の人権擁護基金を作りました http://bit.ly/gLl4At
RT @toshizoaraki: 俺は表現の自由を守ることに興味があるのであって、児童保護運動までは興味の外。規制派のバカへの反論として「単純所持規制や漫画規制では児童を救えない」という実証や統計を持ち出してるんで。「規制反対なら児童保護にも協力しろ」なんて暴論
RT @toshizoaraki: そもそも、規制派はもう「非実在青少年」の建前を捨ててないか。それに作家が児童保護やるメリットってなんだ。 RT @niku831: 基金設立のメリットは「表現規制反対者」が実在被害者はきちんと支援してます、というポーズ〔をしっかりと実績残すことであって、それの集約組織としての設立だろうに。こんなクソめんどくさい事だれが好んでやるかい。〕
RT @toshizoaraki: だから、俺は有効とは思ってないから。集めた金をコン研〔コンテンツ文化研究会〕や十社会〔コミック10社会〕に渡して運動費にしてもらうとかなら賛成したかもな。 RT @niku831: 〔別に、こういう団体は複数あったっていいんだから。 そこまでできなくても、別に「貴方が信頼できる団体」に直接寄付すりゃいいじゃない。自分が「寄付まではしたくない」ならそうすりゃいいじゃない。〕単に「戦略」として有効で、その受け皿なんだから
RT @toshizoaraki: 藤本〔由香里〕や水戸〔泉〕が、半分道楽で、金をドブに捨てる覚悟で基金作りやる分にはかまわない。でも反対運動に効果があると思ってるんなら、止めたほうがいいと俺は思う。プロパガンダ合戦の役に立つとは思えないし、負担も大きいのだから
RT @toshizoaraki: まあ、表現規制を飛び越えて、児童保護活動にまで手を出そうというのはどうかと思うが。こういうのは市民運動的拡大って言うのかな? RT @mametanuki22: 今はどうも市民運動的拡大を一部のヲタが嫌悪してる印象
RT @toshizoaraki: 藤本や水戸達が基金に金と時間というリソースを突っ込んだら、他の活動はできなくなるんだ。基金投入されるリソースに見合った利益をもたらすだろうか RT @Kirimisakana: 知識や情報は無限に分割可能で、利用可能なリソースです


▼――いろいろかんがえる。
▽醜い。のはさて措くとして。 焦点は、他者への敬意の欠落、なのか。自己を以て他者を裁断して恥じぬ精神。蟹は甲羅に似せて穴を掘る。セクト意識。党派観念。あるいは、政局を語って政治を論じた気になる輩、というものなのか。
▽「俺は表現の自由に興味があるのであって、児童保護は関心外、表現規制反対なら児童保護にも協力しろなんざ暴論だ」、というところまでは別によいのだな(私の趣味ではないにしても)。その先でなにが生じているのか。


▽端的にいえば、いわゆる表現規制反対派の旗手が基金に関わることで、反対運動のリソースがそちらに割かれる。すなわち話者の権益(表現規制反対運動)が侵されるわけですよね。となれば口出しするのは自然かと。 で、気になっているのは、なぜ私はそれを「美しくない」と感じているのか、なんですよね…。
 →QT @nan-: べつに表現規制反対のみで、児童保護には関わらないってスタンスがあるのは構わないんだけど、関わる人のスタンスに口出しするのはよく分からんな。それこそ、やりたくなければ、やらなきゃ良いだけの話だろうに。

▽論評(=他人のやることに口を出すこと)それ自体はよい。自由だし有益でもある。 その先。論評対象を自己の物差しでしか測れないさまが醜いのか。 違う。自己のフレームで他者を刈り込んでいるにすぎないことを、その可能性をつゆも疑わぬ精神が醜い、のか。
▽新たな状況が出現した際に、自己の利益構造を改訂(拡張)できない様が醜いのか。いや、改訂の可能性を検討しえない様が、か。 それは、「これで勝てる」だの、「規制反対派のアリバイや武器になる限りで支持する」だのいった語りにも共通するものだろう。 あるいは戦術レベルの戦争ごっこ


▽あ、そうか!それです。願望だ。なるほど。 自己の願望(都合)を率直に願望として表現してないから、美しくないんです。「基金なんてやらずに俺たちの規制反対運動に専念してほしい、わき見しないでほしい」、とストレートに言えばいいんです。なぜ、「道楽でやるならかまわない」とか言いたがるのか。
 →QT @nan-: そりゃ分かるけど、それでダメになるならけっきょくそういう人を「旗手」に選んだ自分のミスだってことになるわけだし。自分が旗手になれないので、そういう人に自分が思うように動いてほしいという願望を投影するってのが美しくないわけかな
▽自分の願望どおりに他者が動いてほしい。その欲望、願望の投影それ自体は自然なもの。 醜いのは、みずからの願望の投影を、まるで客観的な状況評価が導いた結論であるかのように装うこと、自らの願望を隠蔽して語ること、いや、その隠蔽に無自覚であることだ。 (だが、その醜さを回避して語ることが私に可能だろうか?)

▽「他人任せ」についてはニュアンスが分からないけれど、後段はまさにそうです。しかも、自分とは違う価値観で行動する人間が存在することへの想像力を欠いているという。
 →QT @nan-: 換言すれば他人任せということですか。ストレートに他人の問題点を突いているなら良いけど、どっちかといえば、そのブドウ酸っぱいですよ、だからこっちに来て、みたいなものいいをするところが美しくない
▽了解。 私はそれは自体は認めたいんですよね。ことさらに批判したいとは思わない。当たり前というか、そこまで自分に厳しくなれない。ただ、それを自覚しない、隠蔽する態度が嫌。
 →QT @nan-: 他人任せというか他人をアテにしているというか、他人に都合良く動いてほしいという発想ですかね。良い言葉がみつかりませんが


▽「なにかをすることも、しないことも等価だ」と言ったのは誰だったろう。 なぜ私にはその言葉が骨がらみになったのだろう。 それは、何かを「しないこと」への免罪符にすぎないのだろうか。(むろん、「等価」だ、ということは「無価値」だということを意味しない。)
▽そうなるといいですよね! 私は横浜会議〔第2回 子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議、ワークショップ「漫画はCSECではない」。2001年12月18日〕以来、じつに10年です。やっと、初めて、ああこれだ、と思えました。
 →QT @nan-: 僕は、逆に、5月の段階で児童虐待について質問したときは表現規制にしぼったほうが良いと政治的な回答をされたのですが、今回は基金の動きもやはり考えていたということで、よりラディカルな活動になると感じています。
▽逆に言うと、児童ポルノ禁止法問題以来10年、こういう基金を実行してみせたいわゆる表現規制反対派は、いなかったんです。運動に淫して負け続けてきただけで。私だって、口で言ってきただけ。自分でやろうとはしなかった。 この基金がいわゆる児童ポルノ問題とは別の場所から、そして女性の手で設立されたことに感慨を抱きます。

▽今年〔2010年〕5月の時点でというより、本来10年前に、やるべきだったんです。都条例改正問題なんかより、児童買春・児童ポルノ禁止法をめぐる問題意識、反対運動から生まれるほうが自然なんです、こういう基金は。 でも私はやらなかったし、いわゆる反対派もやらなかった。そうして設立されてみれば、この程度の人数、この程度の金額しか集まらないわけです。
 →QT @nan-: たしかに5月の時点でやるべきことではなかったとは思いますが、可決されてしまったからこそやる値打ちがあるような思想的部分もありそう。でも山岸凉子などもそうですが、もともとそういう視点は作家さん側にも持続的に存在している筈なので不自然な展開ではないと思います


▽〔追記: 女性の手で、としているが、この基金の企画が最初に発表された際の情報を見るに、実際にはコンテンツ文化研究会や山口弁護士その他の存在も大きいように思われる。女性の名前で、とすべきか。〕

〔追記: この、「なぜ都条例改正問題において、なのか?」という論点は、「クレイムのレトリック分析」の観点から接近すべきだと思われる(cf.赤川学『社会問題の社会学』弘文堂)。東京都による「非実在青少年」というタームの提出(レトリックの創出)は、表現規制反対派の問題空間の認識を、決定的に変えている(が、変えられたことはおそらく自覚されていない)。直截に言えば、表現規制反対派は「非実在青少年」の反射として、「実在青少年(「実在児童」)」を初めて“発見”しえたのである。〕

 →▼コンテンツ文化研究会シンポジウム「実在青少年問題を考える−私達に何ができるのか?−」 まとめ|電脳卓吾斎 http://pixiv.cc/huideyeren/archives/51649642.html
 →▼電脳卓吾斎 : コンテンツ文化研究会シンポジウム「実在青少年問題を考える−私達に何ができるのか?−」 まとめ http://bit.ly/9VTpOf #hijitsuzai #jipo #kisei http://curelog.jp/huideyeren/archives/1830737.html
 →▼TINAMIX|「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」レポート http://www.tinami.com/x/report/16/
「去る2001年12月17〜20日パシフィコ横浜横浜市)で「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」が、日本政府、ユニセフ(国際児童基金)、エクパット(子ども買春、子どもポルノ、性的目的での子どもの売買根絶キャンペーン)らの共催によって開催された。このレポートは、18日に行われたエクパット関西ユース主催の、マンガ関係者および有識者によるワークショップ「漫画は CSEC(Commercial Sexual Exploitation of Children:児童の商業的性的搾取)ではない」の模様を報告する。なお世界会議の成果については、外務省の「概要と評価」内で横浜グローバル・コミットメント2001と子どもと若者の最終アピールが和訳されている。」


RT @otakulawyer: 実在児童の人権擁護基金 http://jitsuzai-jinken.cocolog-nifty.com/ への寄付金の合計額が100万円を超えました。ありがとうございます。 1月6日
▽金額はもやもや晴れたよー。額のもやもやはしょせん個人的な理由なので(DMしとくね)、むしろ寄付人数が100人に足りないのがさみしいな。 児童ポルノ禁止法以来、あれだけいわゆる「表現規制反対派」がいて〔※かれらは常に「現実の児童ポルノ(児童性虐待)には私も反対です」と言い続けてきた〕、児童虐待の現実に関心寄せてる人はこんなものか、と。
 →QT @ysk-: ちなみにどのくらいの金額集まったら納得いくのかは気になる。個人的にあの内容で二週間で100万円って結構スゴイと思うんだけど。
▽と言いつつ、周囲の基金に寄付したいって人には、今はしなくていい。1、2カ月もすればみんな忘れ始めるし、その頃から無理のない金額を定期的に寄付するほうが、基金の中の人にモチベーションを維持してもらうためにもよいと思う。 とか答えている私がいて、少し自己矛盾かもしれない。


▽伸びしろあります! 無いと私が悲しい(笑) まだ法人からの寄付つかまえてないですしね。(実績とか税控除とかないと難しい? でもアリバイ作りにと勧誘はできる)
 →QT @nan-: まあ、〔基金が〕始まって2週間ですし、根回しなども無かったわけですから、まだ伸びしろはあるんじゃないかと思いますが…
▽――と書きましたが、法人による寄付は少し微妙なところで、初期段階で大きなお金が法人から入ると、基金運用に口を出されるんじゃないかな、と不安ではあります。 万が一にでも基金のお金が規制反対運動や団体に流れ込んだら、それは最悪の事態、完全な自滅行為だと思うので…。


▼理想。 QT @hokusyu82: 基金〔実在児童の人権擁護基金〕のコンセプト自体はリスペクトするが、「規制派だろうが反規制派だろうが実在児童のためにがんばっている人にお金をあげます。規制派にお金が回るのがいやなら寄付しないでください」ぐらい言わないと意味ないとゆーか、ダメなほうにしかいかないんじゃないの。

▽――悲しいかな、理想を追求したらこの短期間でこんな金額は集まらない、のだろう…。“政治ごっこ”をしている人びとを動員できるからこそ実現される資金。 そのいわば「汚い」お金と、理想的な「美しい」お金。
▽極論すれば、明文化されている基金のコンセプトと規約(≒条例と施行規則?)からは、それが紐付きの「汚い」お金か「美しい」お金かは判断できない。そして率直に言って、仮に汚いお金だったとしても、(少なくとも現時点では)大勢に影響力など持ちえない少額基金にすぎない。 では、その汚いお金は、存在しないほうがよかった、のだろうか。
▽あの国際政治学者なら、理想との対話と緊張関係を失わない現実主義を推すのだろう。 だがそんな現実主義を基金の中の人は維持できるだろうか。基金設立宣言のコンセプトを一貫できるだろうか。 いずれいわゆる表現規制反対派が関心を失い、あるいは浅薄な批判を一斉に唱和し始める時に。
▽あるいは。「表現規制? 勝手にすればいい。そんなことは、どうでもいい。子供を、今われわれの目の前にいる子供を救え」。本来、そう叫ぶ人間だっていていいはずなのだ。


基金。身近で聞いたのは、寄付しているのは額の大きい人ばかりで、月に千円寄付できるかどうかぎりぎりの私はなんだか…、とか、少額だと名前が基金の人に(記帳時に)分かってしまうのが恥ずかしいし馬鹿にされるんじゃないか…、とか、募金箱みたいの置いてくれたらなあ…、とか。
▽私はむしろ寄付した人の名誉感情をいかに刺激して継続的な寄付を引き出すかだろうか、などと考えていたから、不覚を恥じた。 関心ある人びとを薄く広くあつめないのであれば、けっきょく現実の児童虐待をめぐる「視線」は変わらないのだろう。啓蒙の契機としての基金


RT @iraniran8: 児童虐待やひきこもり、不登校家庭内暴力への家族の支援に直接現場に来て欲しいんだ。でも学校があったり仕事がある人たちは毎日のように来ることが出来ないって知ってる。また、虐待に関する知識のない人たちをむやみに連れて行ってしまっても家族を激怒させたり子どもを傷つける場合もある。
RT @iraniran8: いつも考えるのはやっぱり子供たちや、虐待する家族の側にいて欲しい、という考えに落ち着く。寄付を募ったらどうだとさっき返信もらったけれどやっぱ側にいて欲しいよ。手をつないで抱きしめることって預けたお金にはできないことでしょう? ぬくもりを待っている人たちなの〔に〕お金だけは冷たい。
RT @iraniran8: 本当は児童虐待の現場に来てほしい、どんな状態になっているのか確かめてほしい。なぜなら、本に書いてあることは情報が遅れすぎて使えないものもあるからです。家庭内暴力やひきこもりが人格障害、精神病だとされていた時の本もありました。
RT @iraniran8: やったつもり、行動したつもり、わかったつもりになるのって恐ろしいことだよ。
RT @iraniran8: 「実在児童」といわれて傷つく被虐待児もいるからやめてほしんだけれどもどうかな。団体さんに電話してみるか。どうにもひどくてかなわんな。
RT @iraniran8: 虐待された子、引きこもりの子や不登校のこの中には、インターネットや漫画に依存してしまう子達がいる。本当はITやネット、漫画やゲームなんかに子供たちをおもりさせる大人や社会が問題。


▽――お金では解決できないことが、ある。 それはお金は無駄だということを意味しない。けれど、お金がしょせんお金でしかないことも動かない。 たとえお金があれば解決することが山ほどあるとしても、それはお金で解決しない問題の存在を消去できない。 その緊張を生きながら、お金を出しつづけること。